■ 栗原康 『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』 岩波書店
1800円+税
伊藤野枝(1895~1923)福岡県生まれ。辻潤、大杉栄との関係をスキャンダラスに取り上げられることが多いが、本書は野枝の執筆活動を中心に、彼女の思想・行動に焦点をあてる。結婚、性、売買春など社会道徳にペンで立ち向かった。
目次
はじめに あの淫乱女! 淫乱女!/野枝のたたりじゃあ!/もはやジェンダーはない、あるのはセックスそれだけだ
第一章 貧乏に徹し、わがままに生きろ お父さんははたらきません/わたしは読書が好きだ (略)
第二章 夜逃げの哲学 西洋乞食、あらわれる/わたし、海賊になる/ど根性でセックスだ (略)
第三章 ひとのセックスを笑うな 青鞜社の庭にウンコをばら撒く/レッド・エマ/野枝の料理はまずくて汚い? (略)
第四章 ひとつになっても、ひとつになれないよ マツタケをください/すごい、すごい、オレすごい (略)
第五章 無政府は事実だ 野枝、大暴れ/どうせ希望がないならば、なんでも好き勝手にやってやる (略)
あとがき いざとなったら、太陽を喰らえ/はじめに行為ありき、やっちまいな
目次をざっと書き出したが、これで著者の文章の調子がわかっていただけるか。岩波が本書を出すことが面白い。それでもやはり、大杉栄、野枝、甥宗一の最期は辛い、酷い。
著者は1979年埼玉県生まれ、東北芸術工科大学非常勤講師、専門はアナキズム研究。『大杉栄伝――永遠のアナキズム』(夜光社)、『はたらかないで、たらふく食べたい――「生の負債」からの解放宣言』(タバブックス)など。
〈あとがき〉では著者自身の近況を書いて、野枝のことに。
《……いざとなったら、なんとでもなる。おさないころから、そういう実感をもっていた。なにがなんでも、好きなことをやってやる。本がよみたい、勉強がしたい、文章をかきたい、もっとおもしろいことを、もっとするどいことを。それをやらせてくれるパトロンを、友人を、恋人をじゃんじゃんつくる。代準介、辻潤、平塚らいてう、大杉栄などなど。恋人だってほしいし、セックスだってたのしみたい。子どもだってつくってやる。うまいものをたらふく食べることだって、あきらめない。これすごいのは、ふつうどれかひとつやったら、どれかをあきらめざるをえなくなったりするのだが、野枝はちがうということだ。ぜんぶやる。欲望全開だ。稼ぎがあるかどうかなんて関係ない。友人でも親せきでも、たよれるものはなんでもたよって、なんの臆面もなく好きなことをやってしまう。わがまま、友情、夢、おカネ。きっと、この優先順位がしっかりとわかっていたひとなんだとおもう。》
書名は、野枝の小説、「白痴の母」(障害のある息子を持つ母親の悲惨な死)、「火つけ彦一」(被差別部落青年の復讐)から。
(平野)6月12日「朝日新聞」読書欄で、北田博充『これからの本屋』(書肆汽水域)紹介。