2016年6月9日木曜日

浦島太郎直系争い

 神戸空襲、休憩。ネタ切れか。

■ 井伏鱒二『七つの街道』1964年、新潮文庫。『別冊文藝春秋』5657年連載、57年文藝春秋から単行本)の「ささやま街道」に「浦島太郎」直系争いの話が出てきた。
 井伏の古い友人である編集氏、丹波篠山出身。
《その男が言うことに「自分は丹波篠山の山家の生まれで、浦島太郎の直系の子孫である。ところが、自分の分家のうちでも、俺の方こそ浦島太郎の直系だと言って、本家と分家が直系争いをつづけていた。もう何百年も前からその争いが続いていて、本家と分家は同じ村にありながら、お互に口もきかない不仲になっていた。しかるに、本家の生れである自分の父親が、まだ父親となる前の弱年のとき、ふとしたことから分家の娘と別(わり)ない仲になった。これには分家の老父母も、本家の老父母も肝を消した。何代も前の昔から、直系争いをして来た不倶戴天の仲である。しかし恋する男女というものは、恋のためには、家名にも黄金にも、親のいさめにも目をくれぬ。恋する二人は、親の激怒を物ともせず家をとび出して世帯を持った。すなわち、その二人の間に生れたのが僕という人間だ。」と、彼は身の素姓を打ちあけて「これは絶対に秘密だぞ。」と言った。》
 井伏の印象は、先祖代々の深刻な大問題なのに「浦島太郎」はユーモラスということと、話がうますぎて丹波にはこんな民話・伝説が語り継がれているのだろうかということ。同行の地元郷土史研究者(海文堂顧客氏の名がある)に聞きそびれている。
 伝説は今も受け継がれているのだろうか。丹波出身者に聞かねばならない。

■ 三浦佑之『風土記の世界』 岩波新書 840円+税 2016.4月刊
 日本書紀に浦島太郎の話が出てくるそう。丹波国余社郡(たにはのくに よざのこほり)の「浦島子」が亀を釣り、その亀が女性に変身して一緒に蓬莱山に行く。丹波は山国だが、古代「丹波国」は丹後も含んでいた。「余社郡」は若狭湾に面する。古代「丹波国」は713年に丹波と丹後に分国された。日本書紀「浦島子」記事はそれ以前に書かれたことになる。

日本書紀(720年成立)には「浦島子」の物語が「別巻に在り」とも書かれているが、その「別巻」は現存しないというか、作られていない。このことから著者は、ヤマト王権正史編纂者は「浦島子」を別の史書にも登場させる予定だったのではないかと、正史編纂構想を検証する。その構想は頓挫したが、別の形で「風土記」編纂につながったと考える。  
 現存する「風土記」は5国で、他に後世の文献に引用されている「逸文」があるだけ。本書はその「風土記」に描かれた古代日本を紹介する。ヤマトタケル伝承や神々の滑稽話など、「古事記」「日本書紀」とは違う多彩で豊かな地方の姿がある。著者は、現存しない多くの国の「風土記」のことを想像する。「まぼろしの風土記」。
《まぼろしの風土記からは、遺された風土記と同様に、中央であるヤマトに包み込まれてしまいそうな地方の姿と、それに抗い続ける固有の姿と、その二つが見いだせるだろう。そしてそこから浮かび上がるのは、「ひとつの日本」に括られる途中の日本列島の姿である。(後略)》
「丹波国風土記」「丹後国風土記」も現存しないが、『釈日本紀』(鎌倉時代末期成立)に「丹後国風土記」の記事の一部と考えられる資料があり、「浦島子」の物語が載せられているそうだ。
(平野)