■ 柄谷行人 『世界史の実験』 岩波新書 780円+税
2011年の東北大震災のあと、柄谷は柳田国男について再考をはじめた。
〈……私は大勢の死者が出たことに震撼させられた。それで、柳田が第二次大戦末期に書いた『先祖の話』を読み返したのです。私は学生時代にこれを読んで感銘を受けました。じつは私には、学徒動員によってルソン島で戦死した叔父がいました。私に彼の記憶はないのですが、家に飾られていた彼が角帽をかぶり馬に載った写真を毎日眺めながら育ったのです。柳田の本を読んだとき、彼の霊はどうなったのだろうか、と考えた。〉
1945年4月から柳田は『先祖の話』を執筆。人は死んで「荒みたま」になり、子孫の供養や祀りを受けて浄化され「御霊(みたま)」になり、一定時間が経つと一つの御霊=神(氏神、祖霊)になり、故郷の村里をのぞむ山の高みに昇り、子孫の家の繁盛を見守る。生と死の世界は往来自由、祖霊は盆・正月に家に招かれ共食し交流する存在となる。
〈……すべての霊が祖霊集団に融けこんでしまっていると同時に、それぞれが個別的に存在する。〉
柳田は既に敗戦を予期していただろう。「新たな社会組織を考え出されなければならぬ」と書いている。柄谷はこの「社会組織」を、「生者と死者、あるいは人間と神の関係をふくむもの」で、戦死者の弔いのことを考えていた、と指摘する。
「少なくとも国のために戦って死んだ若人だけは、何としてもこれを仏徒のいう無縁ぼとけの列に、疎外しておくわけには行くまいと思う。もちろん国と府県とには晴の祭場があり、霊の鎮まるべき処はもうけられてあるが、一方には、家々の骨肉相依るの情は無視することができない」(柳田『先祖の話』)
柳田は、彼らを弔うため先祖にするため彼らの養子になること、を提案する。
〈さらに、柳田がいう「新たな社会組織」は、このような戦争を二度と起こさないようなものにすることを意味しています。〉
第一次世界大戦後のロシア革命と国際連盟は社会を変える「実験」だった。マルクスの社会革命、カントの永久平和の「実験」。日本の大正デモクラシーも歴史の「実験」といえる。もうひとつ、エスペラント運動も。柳田は民俗学者として、官僚として、新聞記者として、郷土研究(世界人類史を見るためのベース)、国際連盟委任統治委員、エスペラント語、普通選挙運動など、さまざまな「実験」にかかわった。戦争の時代になり、「実験」は消滅してしまった。しかし、戦後再開、枢密院顧問として憲法制定の審議に加わる。
〈ここで重要なのは、新憲法、特に九条が一九二八年のパリ不戦条約に由来するものだということです。この条約は、国際連盟と同様に、カント的な理念にもとづいて作られた。〉
〈……柳田が九条について言及したという資料はありませんが、彼が「新たな社会組織」を考える上で、戦争における死者を念頭においていたのは確実です。彼にとって、憲法九条は、過去および未来の死者にかかわるものであったはずです。〉
柳田は戦死者を何よりも大事と考え、二度と戦死者を出さない「社会組織」を作ることを考えた。柄谷は「それが憲法九条です」と断言する。
(平野)