通勤電車内は『図書』4月号。
横尾忠則、「セザンヌは自然を円筒、円錐、球で表現すべきだと主張したが、わが北斎の「富嶽三十六景」の絵を嘗るように画面の隅々までながめてもらいたい。やがて画面の至るところから、○△□の形が「私はここよ」と声を揃えて自己主張をし始めてくるのに気づく」。
△は富士、○は人物の頭の笠や水車や桶、□は鳥居や屋根、壁、板など、だそうだ。
休憩時間読書は、原武史『平成の終焉――退位と天皇・皇后』(岩波新書)。
著者は新聞記者を経て政治思想史の研究者、著書に『昭和天皇』(岩波新書)、『大正天皇』(朝日文庫)など。現在、放送大学教授。鉄道や戦後ライフスタイルの研究も。
今上天皇・皇后が確立した平成の天皇制。その特徴と「平成」後について考える。
天皇が直接国民に語りかけ、全国を皇后と二人で訪ね歩き国民と同じ目線で話す。皇后の存在が過去よりも大きい。二人は「象徴」の覚悟をもって行動してきた。生前退位の決意は憲法のもと天皇と国政の関係ギリギリの選択だろう。さまざま制約のなか、「全身全霊ももって」象徴の役目を果たしている。災害被災地での激励や戦争慰霊の真摯な祈りの姿に国民は感動する。皇太子時代に火炎瓶が投げられたなんて信じられないくらい。天皇が節目で発せられる天皇のメッセージに、ごもっともと納得する。護憲派さえ頼りにしている面がある。それは情けない。メディアも大きく報道する。
メッセージが「権威」になってしまわないか。逆にその「権威」を戦前のような軍事・権力・支配のシンボルにしようという輩がいないか。新元号や退位・即位を政治イベントにしようという者もいる。戦争を体験していない天皇・皇后が即位する。全く新しい皇室が誕生する。
(平野)