図書館本。
若山牧水の歌、紀行文、小説に現れた恋愛に焦点をあてる。神戸で出会った女性との恋は実らなかった。
〈……彼はほぼ五年の間、この恋によって、歓喜の絶頂と、懊悩、疑惑、憂悶のどん底とを経験した。歓喜の時は短く、懊悩の時は長かった。そして今日、人々に愛誦されている牧水の歌の多くは、この時代に書かれたものである。〉
牧水は結婚するつもりでいたが、女性にはできない理由があった。牧水はその理由を知らなかった。失恋の後も、牧水は女性の面影を作品に残している。
大岡が執筆時(昭和40年代後半)、全国に牧水の歌碑・文学碑が61あったそうだ。ネットで調べると現在300近くある。さすが「旅の歌人」である。大岡は牧水の歌について、
〈活字の森にとじこめられているよりも、海辺で松風に吹かれ、山上で小鳥の声に包まれている方が一層ふさわしいと感じさせるものをもっている。〉
と書く。
〈言いかえると、彼の歌は、彼自身の内面にではなく、彼を通して見えるようになった自然界に、じかにさわることを、私たちにむかって誘いかけてくるのである。〉
大岡は旧制沼津中学出身、その沼津市千本松公園の歌碑は、
「幾山河越え去り行かば寂しさの果てなむ国ぞ今日も旅ゆく」
この歌は彼女が上京して来て間もなく、牧水が中国路を旅したときの作品。彼女は広島出身。大岡はカール・ブッセ作(上田敏訳)の「山のあなたの空とほく~」を連想する。恋しい人を思う旅ということか。
失恋による大量飲酒と放浪の旅やハードな歌会・揮毫の旅は明らかに彼の健康を害した。有名な歌人である彼にとって、地方で揮毫することは重要な経済活動でもあった。
(平野)ヂヂバカちゃんりん、孫がおとなしく本を持つわけがないので、代役アンパンマン。