「暁斎」は埼玉県蕨市の「河鍋暁斎記念美術館」所蔵品を中心に(ドイツからも出展)200点展示。一昨年京都で開催した「これぞ暁斎!」ではイギリス人個人コレクション180点余りが公開され、圧倒された。海外に買われていった作品がほんまに多いのだ、とつくづく思う。
「アリス」は若者多く、クイズイベントもあり。ヂヂは古い映画フィルムや写真で十分楽しい。
灘なら本屋はワールドエンズ・ガーデン。新刊、加藤いつか『はるかのひまわり』(苦楽堂)。今上天皇が今年の歌会始で詠まれた歌「ひまわり」。古本、中平邦彦『パルモア病院日記』(新潮文庫)。単行本を持っているが、解説が高田宏。妻も子たち、孫もここでお世話になっている。
店主から、本紹介のブログを始めたと聞いたので、勝手に紹介。
■ 加藤いつか
『増補新版 はるかのひまわり 震災で妹を亡くした姉が綴る残された者たちの再生の記録』 苦楽堂 1500円+税
2004年刊、ふきのとう書房『はるかのひまわり』を加筆改稿。
いつかさんは1995年の阪神淡路大震災で妹はるかさんを亡くした。いつか15歳、はるか11歳。家族の一人が突然いなくなるということの現実。予期しない別れによって、家族一人一人に大きな空虚が生まれる。家族間に会話がなくなる。それぞれが精神を崩し、身体を病み、父母とも入院。いつかは高校に進むが、精神科に通い、学校に行けなくなり、自傷行為を繰り返す。家族が住んでいた場所は更地になった。夏、そこにひまわりの花が咲いた。隣人が小鳥を飼っていて、餌の種をはるかもあげていた。その種から咲いた。教えてくれたのは全壊した家からはるかと母を助け出してくれた藤野さん。
〈「ひまわりが一輪咲いている」と聞いてからしばらくして、今度は「大きなひまわりの花がたくさん咲いている」と聞いた。正直「ドキッ」とした。目で見てみたいと思って、気持ちの整理をつけてから、数日後にひまわりの咲いた場所に行ってみた。〉
そこに行くことは妹の死を思い出すこと。しかし、ひまわりを見たら不安は消え、なんで咲くのか、不思議な気持ちになった。妹を思い、涙を流した。その後、足を運ばなかった。
96年1月、いつかが作った短歌が「現代学生百人一首」に選ばれた。高校の先生が応募してくれた。「震災の 本を見るたび 母が泣く 妹の名がのる 死者の一覧」
短歌を見た他県の先生が金子みすゞの本を送ってくれ、手紙のやり取りをするようになった。
2001年、いつかは神戸市の復興記念事業にかかわり、翌年種まきに参加。震災直後からボランティア活動の中心的存在だった俳優の堀内正美(本書解説担当)と出会う。NPO法人「1.17希望の灯り」の発起人、理事になる。ひまわりウォークや語り部などの活動を始めた。多くの人に励まされ、自分とはまたちがう不幸な境遇の人の体験を知る。03年、NHK「青春メッセージ’03」に出場して、語った。
〈……今日、成人式を迎えるはずだった妹・はるかに「たくさんの出会いをありがとう」といいたいです。〉
「はるかのひまわり」は全国の災害被災地に広がり、花を咲かせる。種はニューヨークにも渡った。
今年の歌会始、天皇の歌。
「贈られしひまわりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に」御所にも「はるかのひまわり」が咲くそうだ。
(平野)辛く悲しい体験をして、立ち上がることは難しい。本人の奮起も必要だが、周りの人たちの支え、新たな出会いが力になる。