2014年7月7日月曜日

山之口貘詩文集


■ 『山之口貘詩文集』 講談社現代文庫 1200円+税 1999年5月第1刷(私のは2013年第15刷)

 貘さんの詩作活動は40年。遺した詩は197篇、詩集3冊。
(1)『思辯の苑』1938年 
(2)『山之口貘詩集』1940年  
(3)『定本山之口貘詩集』1958年

(1)に12篇加えて(2)、
(2)を推敲して(3)、
(1)から(3)までに20年。

 戦争があり、印刷所の火事があり、出版社がつぶれたということもあるが、何より貘さん自身の「気に食うまで推敲し続けずにはいられない性癖」「何事もけりをつけてからでなければ次に進めない律儀さ」(長女・泉)による。

 ……自分の詩集を出したいという気持においては、人後に落ちない。定本の原稿を渡し終えるやいなや、待ちかねたように、新詩集のための準備に着手したことからも、それは窺い知ることができる。……

 新たな〈推敲〉が始まる。
 4冊目の詩集は、早くても10年はかかるだろうと思っていた。貘さんは胃がんのため63年に亡くなるが、翌64年、『鮪に鰯』が出版された。

……遂に推敲し尽くせなかった草稿の束を机上に残したまま父がこの世を去ってから一年目の、晩秋のことである。

鮪に鰯

鮪の刺身を食いたくなったと
人間みたいなことを女房が言った
言われてみるとついぼくも人間めいて
鮪の刺身を夢みかけるのだが
死んでもよければ勝手に食えと
ぼくは腹だちまぎれに言ったのだ
女房はぷいと横にむいてしまったのだが
亭主も女房も互いに鮪なのであって
地球の上はみんな鮪なのだ
鮪は原爆を憎み
水爆にはまた脅やかされて
腹立ちまぎれに現代を生きているのだ
ある日ぼくは食膳をのぞいて
ビキニの灰をかぶっていると言った
女房は箸を逆さに持ちかえると
焦げた鰯のその頭をこづいて
火鉢の灰だとつぶやいたのだ

(平野)

2014年7月6日日曜日

神戸の詩人たち


■ 君本昌久・安水稔和編 『神戸の詩人たち 戦後詩集成』 神戸新聞出版センター 1984年7月刊


山村順 諏訪山金星台  
竹中郁 動物磁気  
坂本遼 遺書その二  
林喜芳 露天商人の歌  
足立巻一 雨  
富士正晴 小信
杉山平一 声  
伊勢田史郎 廃れた運河から  
多田智満子 花火  
久坂葉子 りんご

小林武雄、亜騎保、青木はるみ、和田英子、季村敏夫 ……(48名、256篇)

神戸戦後詩年表 1945年~1983年

 
 
 
 安水稔和 「わたしたちの街」

 わたしたちの街では、道を歩くということは、坂をのぼること・坂をくだることを意味します。

 まっすぐ歩いていても、いつのまにか、のぼっていくのです。くだっていくのです。いつのまにか、さっきの街を見おろしているのです。見あげているのです。

 うっかり、なにかに気をとられると、とたんに、街が傾き、空が傾き、転げ落ちそうになります。海まで転げ落ちそうになります。

 だからわたしたちは、風船とか、パンの入った紙袋とか、空っぽの旅行鞄とかを持つのです。わたしたちは、レモンを、ナイフを、ポケットに入れるのです。錆びた鉄管をかくしもったりするのです。心に鉛を流しこんだりするのです。

 なにしろ、油断のならぬ街です。さて、いこか、もどろか、どちらへ曲がろか。

(平野)

2014年7月5日土曜日

東秀三『神戸』


■ 東秀三 『神戸』 編集工房ノア 1994年8月刊
カバー・扉装画 石阪春生

 東秀三(あずましゅうぞう、1933~1995年)、神戸市生まれ。作家、「VIKING」、「関学文芸」同人、創元社の編集者だった。
 神戸を歩いて街と人々の営みを書きながら、自分史を重ねる。

目次  
灘五郷  谷崎潤一郎  水道筋  毎日登山  神戸ゴルフ倶楽部  VIKING  セビル ロウ  ジャズ・ストリート  南京町  足立巻一  明石 ……

「灘五郷」では造り酒屋の主人・小野楠雄のことが語られる。蔵は灘だが、神戸駅前に店があった。楠木正成を祀る湊川神社の熱心な氏子で、名前にも「楠」がついている(これは父親がつけた)。酒の名前も「正成」「正行」、ラベルは菊水。東の家は洋服仕立て屋で、小野はその得意先だった。
 小野は出版社・五典書院も経営していた。

……いま手元に和綴じの増田五良著『馬薊亭雑記』がある。(略、昭和17年11月発行)田山花袋を取り上げた短いエッセイや、一葉と「文学界」の人々、メリメ断想、メフイストの仁義などと中身はとりとめないが、口絵にロビンソン・クルーソーの色刷りの挿絵がはいり、手漉き和紙を使用した本文には、地模様にあざみの絵を印刷している。/凝りに凝っている。片面二百二十二ページを二つ折りにして綴じているから堂々たる束がある。簡単ながら筒型の紙の帙までついている。……

 1969年から6年かけて、白川静の講義録『説文新義』(全16巻)を刊行している。

「VIKING]

 昭和二十二年に創刊されたいかめしい民族を表題にした同人雑誌は、表紙や奥付の表記にしたがえばVIKINGである。しかし融通無碍なところがこの同人雑誌のよさで、会の名前はVIKING CLUBでありながら、郵便振替の表記はバイキングクラブである。キャプテンの富士正晴はじめ、ヴァイキングと表現して原稿を書いている同人もいる。……

 合評会は元町駅北側の私学会館。ガリ版で、富士がそのガリ切りをしていた。
 東が乗船(入会)したのは59号(昭和30年1月号)で、下船(退会)が93号(昭和33年4月号)。

(平野)
 東の生まれは大倉山(うちの近所)、育ちは六甲道。神戸三中入学だが、戦後の学制改革で長田高校併設中学校卒業、神戸高校編入となる。

2014年7月4日金曜日

ふるさと名作散歩


■ 頴田島一二郎(えたじまいちじろう) 
『ふるさと名作散歩』 のじぎく文庫 1968年(昭和43)2月刊
 
 

 頴田島(1901~1993)は東京生まれ、歌人。歌集の他、小説や菓子職人評伝『カール・ユーハイム物語』(新泉社)など。戦後尼崎在住、神戸新聞に長くエッセイを寄稿。

 本書は、兵庫県を舞台にした小説作品を紹介。話の中で風物がどのように描かれているかを鑑賞し、現在との違いや知られざる一面に触れて、原作を読んでほしい、という思い。

鼠(城山三郎、神戸)、垂水(神西清、神戸)、仙石騒動(海音寺潮五郎、出石)、城(阿部知二、姫路)、乱菊物語(谷崎潤一郎、播州)、三ノ宮炎上(井上靖、神戸)、うたかた(田辺聖子、阪神間)、贋学生(島尾敏雄、神戸)、義理(太宰治、伊丹)、天国荘奇譚(山田風太郎、豊岡)、千姫春秋記(円地文子、姫路)、散華(高橋和巳、淡路)……全45篇。

 五味康祐の作品に『麻薬3号』(1957年、文藝春秋新社)がある。終戦直後の麻薬犯罪物。ここに我が家の近所の風景がある。

 暴力団の事務所。
「神戸市北長狭通りにある。元町駅と神戸駅の間だ。……」
 生まれ育ったのは、北長狭通7丁目。
「省線のガードと下山手六丁目筋の交叉するあたりに、鉄筋コンクリートのモダン寺がある。モダン寺と六丁目すぢと距てて、中山組の事務所がある。……」
 小学校が坂を上ってこの真北。モダン寺は「浄土真宗神戸別院」で遊び場のひとつだった。
 花隈周辺も出てくる。
(平野)

2014年7月3日木曜日

SIGTH 60


■ 『SIGHT』VOL.60 2014 SUMMER ロッキング・オン 743円+税

総力特集 戦争――安倍外交の果てにあるもの

私たちは、実際に戦争が起こる可能性の中で道を選ばなければならない  藤原帰一

集団的自衛権の行使によって、日本はテロの標的になる  古賀茂明

拉致被害者と家族は、政治の道具にされている  蓮池透

安倍政権の解釈改憲は戦争への蓋を開ける  小林節

安倍政権が目指すのは、憲法解釈の変更ではなく「憲法の無視」である  阪田雅裕

「アベノクラシー」は、組織として劣化していく日本の表れである  白井聡

アメリカの一個師団化を実現する集団的自衛権は日本から独立性を奪う  田中秀征

今は民主主義を守るときではなく、民主主義を作るときだ  内田樹×高橋源一郎

 
 戦後という言葉を、日本ほど使う国はないらしい。確かに、アメリカで戦後といっても何の戦後なのかわからない。第二次世界大戦の後なのか、ベトナム戦争の後なのか、イラク戦争の後なのか、単に戦後というだけでは区別がつかない。アメリカにとって戦争は常に存在するものであり、ある意味、常に戦中であり、常に戦場で若者が死んでいったのである。(略、世界中に戦争があり、若者が死ぬ。戦争を行う国だからだ)

 第二次世界大戦の後、日本は戦争をしていない。憲法9条により、戦争を放棄し、軍隊を持たない国になったからだ。だから日本の若者は戦場で死んでいない。すばらしいことだ。僕は戦争をしたくないし、自分の子供も戦場で死んでほしくない。ずっと、そういう国であってほしい。まさに、ずっと戦後が続いてほしいと思う。(略)

 僕は日本はすばらしい国だと思う。社会も国民も、世界に誇れると思う。それを支えてきたのが憲法9条であり、集団的自衛権を行使しないという外交方針であり、何より国民の平和を願う気持ちであった。その日本が守ってきた庶民の知恵、戦後の平和を守ってきた知恵を、日本人は捨て去ろうとしている。あまりにも愚かなことだ。  渋谷陽一

(平野)
 自民党の国会議員で反対を表明したのはたった一人。公明党は執行部一任。国民の方を向いてちょうだい。
 

 
 おのはらっち・のりっち(詩人)さん主宰“百窓市”の文化教室がスタート。
 早朝の「坐禅」、午後から「袈裟を縫う」。こちらを。

https://hundredswing.wordpress.com/2014/07/01/cultureclubcommencing/



元町商店街HP、「【海】という名の本屋が消えた」第8回。古書うみねこ堂書林紹介と【海】生誕まつりのこと。

2014年7月2日水曜日

島京子「雷の子」


■ 島京子 『雷の子』 編集工房ノア 2200円+税

 島(1926年生まれ)は東灘区在住、「VIKING」同人。1965年「渇不飲盗泉水」(本書所収)で芥川賞候補。神戸エルマール文学賞代表。

 表題作(書き下ろし)ほか、過去の短篇とエッセイ。

「雷の子」
 主人公美々子は女優、歌手。精神病院と留置場を行き来して休業中。自分の守護神は摩耶山の寺にある摩耶婦人像だと思っている。幼なじみ(語り手)の吉子が寺と夫人像が火事で焼けてしまったことを告げると、その時ちょうど彼とベッドにいた、と言う。性の焔の中だった、と。
 吉子は古事記のイザナギが黄泉の国のイザナミに会いに行く場面を思う。

 このとき伊邪那美の陰(ほと)には柝(さき)雷(いかづち)がいたのだ。陰というのは、本来は火の処と書くそうだが、美々子の火の処には、たしかに雷が棲んでいる。……陰のみではなく、美々子は軀のあちこちに、この時の伊邪那美と同じように八柱の雷神を寄生させている。

 その美貌は、

(安い化粧品を使っても)それでなくとも明瞭に際立ち、人の目をおのずと惹きよせずにはおかぬ容貌を過剰にし、目は目の存在の範囲を逸脱し、一つの強烈な力として迫る。顔全体は、生物が無関心ではいられぬ南国の食肉花のように、妖しく咲き出した。

 演技力、

「日本には数少ないギリシヤ劇やシエクスピア劇を演じられるスケールの女優になっていたかも知れない……」

 古代の女王か、巫女の生まれ代わりなのか、肉体の中の雷神は彼女自身を破滅させる。男を求め、酔っては奇行を繰り返す。

 登場人物は仮名だが、美々子はじめ、何人かは想像できる。

(平野)

2014年7月1日火曜日

小松左京 やぶれかぶれ青春記


■ 小松左京 『やぶれかぶれ青春記』 旺文社文庫 1975年(昭和50)2月刊  挿絵 村上豊

 1969年「螢雪時代」連載、“自伝風青春小説”。
 小松(1931~2011)は大阪市生まれ。生れた年が満州事変、小学校入学時は日中戦争、5年生で太平洋戦争、神戸一中に入ったら学徒動員、2年生サイパン玉砕、勤労動員、3年生で大阪も神戸も焼け野原、敗戦、占領、闇市、食料不足……。
 編集者の注文は「明朗な青春小説」だった。

……全身大ヤケドをおったみたいなもので、それから十年以上たって、最近ようやくその上に薄皮がはってきたばかりであり、今でもそこらへんをさわると、とび上がるほど痛くて七転八倒する。やっと、戦争中、十四、五歳のあたりの、ほんの小さなかさぶたを、おずおずはいでみたりしている程度である。(略、明朗な青春物が書けるわけはない)
 しかしながら――これも、諸君はよくご存じのことと思うが――青春とは、途方もなく暗く、陰惨で、息苦しいものであると同時に、一方では、途方もなく無責任で、間がぬけていて、ムチャクチャで、ばかばかしくて、素頓狂で、おかしいものなのである。青春の中で起こった事件は、その一つ一つが、自分自身にとって鋭い痛みをともなうものであるにもかかわらず、客観的に見れば、三派全学連の諸君の叫ぶように、「ナーンセンス!」であり、「マンガ」でもあるのだ。(略)
 まったく、青春そのものの中に、赫々とした「強靭な明るさ」というものがふくまれていなければ、思いかえしただけで、気が変になりそうなあの陰惨な時期を、切りぬけることができたとも思えない。戦時中、あれほど飢え、あれほど疲れ、あれほど教師に殴られ、空襲と、近づく「一億玉砕」の時を前にして、一方でどうしてあんなに、底ぬけに陽気で、ばかないたずらばかりしていられたのか、どうにも説明がつかない。……

 

 昔の神戸の街の様子が描かれている場面はない。勤労動員で農作業、疎開家屋のとりこわし、防空壕ほり、高射砲陣地の砂運び、工場で作業をやらされた。

 農村以外に、私たちがもっとも良く動員されたのは、高射砲陣地づくりだった。神戸には大倉山、苅藻島、そして税関のむこうに高射砲陣地がつくられ、とりわけ税関の高射砲は、当時の日本にはめずらしいラジオケーター(レーダーの前身である)連動式で、高空をとぶB29によくあたった。(略、苅藻島は厳寒の時。税関前は酷暑に空襲。運んだ砂はくずれ、やり直し)
 こんなことをやりながらも、私たちはけっこう陽気だった。教師をはめるために深い落とし穴をいくつも掘り、その中に自分がはまりこんだり、さぼるためにわざとトロッコをひっくりかえしたり、休憩時間には、砂の上でゼスチュアゲームにうち興じたりした。

 活躍したのは後に俳優・歌手になる高島忠夫。解説に、その高島、同級生・國弘正雄。
 田辺聖子も花をそえる。

(平野)