■ 『山之口貘詩文集』 講談社現代文庫 1200円+税 1999年5月第1刷(私のは2013年第15刷)
貘さんの詩作活動は40年。遺した詩は197篇、詩集3冊。
(1)『思辯の苑』1938年 (2)『山之口貘詩集』1940年
(3)『定本山之口貘詩集』1958年
(1)に12篇加えて(2)、
(2)を推敲して(3)、
(1)から(3)までに20年。
戦争があり、印刷所の火事があり、出版社がつぶれたということもあるが、何より貘さん自身の「気に食うまで推敲し続けずにはいられない性癖」「何事もけりをつけてからでなければ次に進めない律儀さ」(長女・泉)による。
……自分の詩集を出したいという気持においては、人後に落ちない。定本の原稿を渡し終えるやいなや、待ちかねたように、新詩集のための準備に着手したことからも、それは窺い知ることができる。……
新たな〈推敲〉が始まる。
4冊目の詩集は、早くても10年はかかるだろうと思っていた。貘さんは胃がんのため63年に亡くなるが、翌64年、『鮪に鰯』が出版された。
……遂に推敲し尽くせなかった草稿の束を机上に残したまま父がこの世を去ってから一年目の、晩秋のことである。
鮪に鰯
鮪の刺身を食いたくなったと
人間みたいなことを女房が言った言われてみるとついぼくも人間めいて
鮪の刺身を夢みかけるのだが
死んでもよければ勝手に食えと
ぼくは腹だちまぎれに言ったのだ
女房はぷいと横にむいてしまったのだが
亭主も女房も互いに鮪なのであって
地球の上はみんな鮪なのだ
鮪は原爆を憎み
水爆にはまた脅やかされて
腹立ちまぎれに現代を生きているのだ
ある日ぼくは食膳をのぞいて
ビキニの灰をかぶっていると言った
女房は箸を逆さに持ちかえると
焦げた鰯のその頭をこづいて
火鉢の灰だとつぶやいたのだ
(平野)