■ 矢萩多聞 『偶然の装丁家』 晶文社 1500円+税
“就職しないで生きるには21”シリーズ。出た時から気にはなっていた本。阿倍野の「あしたから出版社」フェアで購入。
矢萩多聞(やはぎたもん)、1980年横浜生まれ、画家・装丁家。中学1年から学校に行かなくなり、14歳くらいから1年の半分以上をインドで暮らす。帰ってきたら絵を売り、そのお金でまたインドに行く。現在は京都在住、月1回上京、インドにも時々行く。
学校になじめない人、行きたくない人、他人と付き合うのが苦手な人、他の人と同じように行動出来ない人、勉強についていけない人、いじめられる人、学校が苦痛でしかない人……、いる。
矢萩は5年生の石井先生の時は良かった。学校に行けた。中学にはまた行けなくなった。両親は理解があるというか、面白い人で、矢萩が小学生の時からネパールやインドに旅行に行った。中学生になると長期滞在した。矢萩は現地の人たちと触れ合い、彼らの価値観を尊重し、お互いの違いを認め合うことができた。絵は小さい頃から好きだったが、学校の成績表はダメだった。時間の制限があった。石井先生は自由に描かせてくれたが、中学ではやはりダメだった。中2の時、横浜でインドの画家に出会った。ミティラー画という民俗伝承の絵に魅せられ、絵を再開した。個展を開き、売れたらインドに行き、描き、日本で個展、ということができた。
本を作るきっかけは、2000年頃横浜の出版社社長・三浦との出会いから。三浦は夕方買い物の途中に、矢萩の家に立ち寄る。
突然大真面目な顔で、「多聞くんの本をつくりたい」と言い出した。
学校をやめ、絵を描き、インドと日本を往復して暮らすぼくに興味を持ったのだろう。その本を読めば矢萩多聞の人となり、生き方や絵の魅力がわかるような本にしたい、と言われた。まだ数冊しか本をつくっていない出版社なのに、ぼくみたいな人間をつかめて本を書いてほしい、なんてずいぶんむこうみずな思いつきだ。(略、回想本には若すぎる、文章には自信がない、無理はしないという信条。対談集を提案した)日本とインドでぼくが気になっている一〇人と対談する。本にかこつけて喋りたい人と会えるし、きっと話し言葉ならば、もったいぶった回想や、いいわけがましい説明がはいりこむ余地もないだろう。ふだん店先でしているように、だれかの物語を聞く。そういた対話のなかに、矢萩多聞という人間がチラッと見えるかもしれない。そんな本が楽しいんじゃないか。……
ゲラを見て三浦が装丁もやってみたら、と。さらに奇跡的出会いがある。思いつくかぎりの有名人に推薦文を手紙で依頼、当然返事はないが、一通だけ返信。「ゲラを全部送れ」。有名な詩人。
それからもどんどん人と繋がりができる。思わぬ出会いがある一方、懐しい人との別れもある。
たぶん、この本は社会で働くうえで参考になることはあまり書いていないと思う。(略、これまでのことを振り返って考えてみる。普通に学校に行って就職して、普通のストレスがある人生だったかもしれない)
でも、そんなとき、ふいに聞こえた音楽やだれかのつぶやき、映画のワンシーン、町角の一杯のコーヒー、ちょっとした何かが、からだを少しだけ楽にしてくれる。この本もそんな風に呼んでもらえたら嬉しい。……
装丁 矢萩多聞 装画 ミロコマチコ 写真 吉田亮人
(平野)
「ほんまにWEB」連載「海文堂のお道具箱」第4回は“仕分け棚”。誰じゃ? 物置にしてもうてる奴は!http://www.honmani.net/index.html