■ 広瀬勧学 『我が半生』 自費出版 1996年4月刊
広瀬は1917年(大正6)福井県生まれ。小学3年生から京都等持院で禅僧修行。38年応召、中国大陸を転戦、46年帰還。妻の実家、神戸市兵庫区で本屋「神文館」を開業。本書は傘寿を記念した自伝。
修行仲間・水上勉が文章を添える。広瀬が水上の処女作「フライパンの歌」発表時に連絡した。水上は「僧侶になりそこねて本を売って喰う仲間であるという認識で新しくむすばれた」と書いている。阪神・淡路大震災でもチャリティーに駆けつけ、後年広瀬の葬儀でも委員長を勤めた。
神文館は新開地の街づくりの中心的存在だったが、2012年12月閉店廃業した。
自伝に戻る。広瀬は戦争中負傷して帰郷を認められ、その時に遠縁の娘と結婚している。家業が神戸の新聞・書籍取次だった。戦後帰国して、広瀬は等持院に戻るつもりだったが、住職の賛成を得られず、妻の実家に身を寄せた。
家内の実家は湊川神社、いわゆる楠公さんの西門前にあり、奇跡的に戦災にも遭わずに残っていた。そこで新聞・雑誌の取次業を営み、今も家内の兄がその商売を継いでいる。自然にその仕事を手伝っているうちに、ある人が、新開地で仮説店舗が空いているからそこで商売をしてみないかと勧めてくれた。(略)
早速、私たち夫婦はそこで「趣味の家」と銘打った店舗で、商売を始めた。
商売は順調で、後に本店となる土地も取得できた。街づくりにも積極的に関わった。
戦後復興と繁栄、その後の衰退を見てきた。バブルもあった。それに大震災。それでも「故郷のために、今後の人生のために」「できることならどんなことでもする」と決意を書いておられる。
(平野)
村田社長から借りている。広瀬勧学さんはアイデアマンで業界のリーダーだった。