■ 蜘蛛編集グループ編 『100年の詩集――兵庫・神戸・詩人の歩み――』 日東館 1967年(昭和42)11月刊
編集メンバーは、中村隆、君本昌久、伊勢田史郎、安水稔和。1960年、それまで別々の雜誌で書いていた4人が新雑誌『蜘蛛』を創刊。65年6月まで8冊出版した。
休刊状態のなか、明治100年のこの年、本書刊行となった。100人をこえる候補から討議のすえ65人を選んだ。
目次
一〇〇年の詩集――序にかえて――
明治 一八七四年(明治7)~一九一一年(明治44)
組合神戸教会讃美歌 前田泰一等編
花薔薇 カール・フォン・ゲロック 井上通泰訳撫子 座古愛子
薄田泣菫、有本芳水、三木露風、川路柳虹 ……
大正 一九一三年(大正2)~一九二五年(大正14)
祈禱 竹友藻風
言葉を失へる市街 富田砕花狂 賀川豊彦
深尾須磨子、八木重吉、稲垣足穂、福原清、山村順 ……
昭和戦前 一九二六年(昭和元)~一九四五年(昭和20)
時雨 坂本遼
ラグビイ 竹中郁和田岬 光本兼一
衣巻省三、津村信夫、杉山平一 ……
昭和戦後 一九四六年(昭和21)~一九六七年(昭和42)
歴史の蜘蛛 野間宏
春愁 富士正晴否の自動的記述 小林武雄
亜騎保、足立巻一、中桐雅夫、多田智満子 ……
兵庫・神戸一〇〇年の詩史ノート
年表
われわれが「ことば」によって「こころ」をつなぎとめようとしてからすでに久しい。それは気も遠くなるほどの時をさかのぼった過去から、たえずわれわれを突き動かしてきた衝動である。
だが、だからといって、衝動であるからといって、ただ手を垂れて耳を伏せていた者をしも、駆り立ててきたわけではない。たとえば、喜びの日に喜びの歌うたいつつも、喜びに酔う人々から離れて血の黒さを見定める眼を持つとは、どういうことなのか。歌うたうものは、しょせん、斜めにもの見る眼を持つという光栄を有するものの謂か。「こころ」を「ことば」でつなぐとは、たえない鈍痛にたえず気づくということなのか。
(略、ことばの森で見たものは豊かな恵み、同時に実りの苦さも)
どのように多くの人々に読まれようとも、どのように多くの人々のために存在しようとも、詩は、やはり、一人にとっての毒、一人のための毒、しかも必要な毒であることをやめはしないという確信とともに、われわれはこのアンソロジーを編み終った。
先日紹介した『神戸の詩人たち』『兵庫の詩人たち』は本書あってこその成果。
(平野)
詩人・オノハラッチにお借りした本。前の所有者の書票も。