■ 中島らも 『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町 増補版』 朝日文芸文庫 1994年6月刊 装丁 泉沢光雄
初出、1987年3月~88年12月「A+1」(朝日新聞の播但サービス紙――播州、但馬)。89年PHP研究所から単行本、97年集英社文庫。
らも、高校生グラフィティ。
第一章
丸坊主軍団、まいる
保久良山、O先生のこと、砂場のビーナス、放課後のかしまし娘 ……
第二章
タナトス号に乗って
三宮の賢人、崩れた壁、飲酒自殺の手引き ……
INTERMISSON 街のクロッキー
元町駅の怪しい男、新開地、神戸の中華料理 ……
第三章
フーテン浪人日記
三宮の変人たち、石部金吉くんの恋、ノルウェイの森 ……
第四章
モラトリアムの闇
入試地獄、浪々の身
巻末エッセイ 村上知彦
多くの人は信用しないでしょうが、20年くらい前まで国際都市・神戸の男子中学生は丸坊主を強制されていた。わてらの時代(40数年前)は高校でぼちぼち自由化に。私立校でも髪型自由は数える程。「灘」でも丸坊主だったが、生徒総会が何度も開かれて頭髪・服装自由化になった。らもが勝ち取ったというより、「勉強のよくできる正義感の強い生徒たち」が率先して学校と交渉した。らもたちは丸坊主でも“ワルサ”をしていた。長髪になってもやることはあんまり変わらなかった。求めるものはいっぱいある。クスリ、酒、エッチ……。
同級生のほとんどが難関大学に入る「化け物みたいな学校」。……そのすみっこのほうに、十人かそこいらの「落ちこぼれ」がいる、この連中はとうに受験をあきらめて、某部室にたれこめてはたばこを吸ったり酒を飲んだり、シンナーを吸ったりマルキシズムについて議論したり、セックスについて見栄の張り合いをしたりしていたのだ。(略)
僕はそのたまり場にまぎれ込んで居心地のいい思いをしていたが、思想的なことではまったく話が合わなかった。彼らのいう「革命」が根源的なところでヒューマニズムと通底しているのが気にくわなかったのだ。
そのころの僕は、自分が腐った膿のかたまりであることを自覚していた。もちろん世界は自分よりもっと腐っていて、いっそもろともに爆発し、消滅してしまうことを望んでいた。……
そこに「ものに火をつける」ことが異常に好きなIがいた。化学部で薬品を調合してはイタズラして、被害者が何人も出ていた。ある日、校庭で爆発事件。石垣が崩れ、鉄パイプが飛び散り。現場を逃げ遅れたKが犯人にされたが、主犯はI。
思想がないのに事を起こすやつほど怖いものはない、と僕が確信したのはそれ以降だ。
(平野)