■ 『金子光晴新詩集 IL』 勁草書房 1965年5月刊
装幀 宇留河泰呂 解説 清岡卓行
光晴70歳。翌年歴程賞受賞。
わが胸の奥の奥の小景まで、からんと透いてみえる
そんなときまで生きねばならぬのは、つらいことだ。それに、僕には、太陽や、そよ風などと和解してゐる時間が
そろそろ、なさそうなぐあいなのだ。
かなしむのは、はやい。僕は、まだ、ひとりぶんのなま身を
くたびれてはゐるが、肉体をもつてゐる。ときおり、いはれもしらずはしやぐこともあるこのからだには
あいきようにも、ちよつぴりへのこまでついてゐる。
びつくりするにはおよばない。そのうへ、僕には
どうつかつたらいいものか、つかひのこしの、僕の『時間』がある。
……
盟友・山之口貘のことも詩に出てくる。
『キリストだとばかりおもつてゐたら、おや、君は、死んでるはづの
貘さんじやないか。どうして、また』(略)『どこかで、なにかが、まちがつたのではないのでせうか。
この道は、ねえ、かねこさん。へんなところへ出てしまひそうですよ』
(平野) 乙仲「スウィートヒアアフター」で購入。