2014年12月18日木曜日

金子光晴 I L


 『金子光晴新詩集 IL』 勁草書房 19655月刊

装幀 宇留河泰呂  解説 清岡卓行 
 光晴70歳。翌年歴程賞受賞。

 

わが胸の奥の奥の小景まで、からんと透いてみえる
そんなときまで生きねばならぬのは、つらいことだ。

それに、僕には、太陽や、そよ風などと和解してゐる時間が
そろそろ、なさそうなぐあいなのだ。

 
かなしむのは、はやい。僕は、まだ、ひとりぶんのなま身を
くたびれてはゐるが、肉体をもつてゐる。
 
ときおり、いはれもしらずはしやぐこともあるこのからだには
あいきようにも、ちよつぴりへのこまでついてゐる。

びつくりするにはおよばない。そのうへ、僕には
どうつかつたらいいものか、つかひのこしの、僕の『時間』がある。
……

 盟友・山之口貘のことも詩に出てくる。

『キリストだとばかりおもつてゐたら、おや、君は、死んでるはづの
貘さんじやないか。どうして、また』(略)
『どこかで、なにかが、まちがつたのではないのでせうか。
この道は、ねえ、かねこさん。へんなところへ出てしまひそうですよ』

(平野) 乙仲「スウィートヒアアフター」で購入。