2014年12月31日水曜日

秋風の記


 山本周五郎「秋風の記」(昭和9年発表) 新潮文庫『朝顔草紙』所収
 
 
山本周五郎の神戸

神戸の雑誌社時代の同僚・「仲井天才(「陽気な客」では天青)」と偶然再会。彼はそれなりに知れた劇作家だったが、落ちぶれて神戸に。二人は同時にクビを言い渡されて社長を殴り、最後の給料を全部呑んでしまって別れた。
 周五郎は小説家になったが、家賃は溜まり、八百屋や米屋の払いにも困っている。

 秋はせかせかと私の廻わりを急いでいる、昨日も今日もひどい落葉で、夜になると厨の屋根の上を、枯葉が寒い音をたてながら転げてゆく。二旬ほど前からしきりに楢の実の墜ちる音がぽったぽったと響いたけれど、この二三日絶えて聞かなくなったのはもう落ちつくしてしまったのかしらん。
 昨日街を歩いていたら、人混みの中から、
「山本君、山本君」
 と呼ぶ者があった。振り返ってみると四十がらみの落魄しきった男がふところ手をしてぬっと立っている。……

 仲井は満洲に行っていたらしい。二人は酔ってとりとめない話をして、

「じゃあ――また明日会いましょう」と別れた。短かったが濃密な雑誌社時代のことをあれこれ思い出す。

だがなんだって私は、こんな事をいつまでもならべているのだろう、私が書かなければならぬのは人情美談だ。ユウモアがあってペソスがあって、何処か突っ込んだところも無くてはいけない、さあやろう!
 待て待て、窓を明けよう。恐ろしく落ち葉が舞うぞ、丘の上の道は今日も落ち葉で埋まってしまったろう。それにしても、仲井天才は昨夜あれからどうしたろう、この落ち葉の中を今日はまたどんなふうに歩いていることか。
――この乱れ切った世の中に生きて、多少とも為事らしい為事をしようとするには、貧乏や不面目を恐れていられるか」
 彼はかつてそう云った。
「君こそ、確かり、本当の為事をやってくれ給え!」
 とも云ってくれた。
 けれどもねえ仲井さん、家賃や八百屋や肉屋の勘定は、僕もやっぱり払わずにはいられませんよ。
 
 木村久邇彦の研究では、「夜の神戸社」には「中居天声」という元劇作家と、「水町青磁」という後に映画評論家として活躍する人が在籍した。在社時期は違うが、「仲井天才」は両者の複合人物。

(平野)