2014年6月17日火曜日

うたの心に生きた人々(2)


 茨木のり子 『うたの心に生きた人々』 ちくま文庫 (その2

金子光晴18951975)、愛知県生まれ、3歳の時金子家の養子。

1 風変わりな少年  2 中退の青春  3 山師のころ
4 第一回の外遊  5 詩集『こがね虫』  6 海外放浪の長い旅
7 むすこの徴兵をこばむ  8 戦後になって
 
 家庭の事情で、その生い立ちは複雑。養父の転勤で名古屋、京都、東京。非行、性のめざめ、洗礼、世の無常……感受性の強い子どもだった。

 暁星中学校で西洋文化に触れ、漢籍や江戸文学に親しむ。早稲田、美術学校、慶応、すべて中退。肺病療養中に詩作。親の遺産で山師稼業、失敗。25歳の時、養父の友人とヨーロッパに行き、1年間、彼の地の芸術・文化に浸る。
 帰国して『こがね虫』出版。関東大震災、結婚、貧困。私的には妻の恋愛事件、文学ではプロレタリア隆盛。光晴は時代の流行には乗らない。
 夫婦で日本から離れる。無一文の海外放浪。光晴は旅絵師で稼いで、パリにたどり着いたのは1年半後。長い旅はあしかけ5年に及んだ。
 帰国すると、プロレタリア文学は弾圧され、作家たちは転向。山之口貘に出会ったのはその頃。
 
 直接的ではない表現で天皇制批判、反戦を詩にする。息子の徴兵は仮病で忌避させた。外国人とも堂々とつき合った。非国民、逆賊呼ばわりされた。
 戦後、世の中は逆転。

 その半世紀にわたる長い詩業には、恋唄もあり、抒情詩もあり、ざれ唄もあり、弱さをそのままさらけだした詩もあり、一読考えこまざるをえないエッセイ集もたくさんあり、じつに大きなスケールと、振幅をもっていますが、とりわけその詩の、もっとも鋭い切先は、権力とわたりあい、個人の自立性は、たとえ国家権力によってだってうばわれないといった、まことに「無冠の帝王」にふさわしい、人間の誇りをかがやかせたのでした。
 
 
 写真、『金子光晴詩集』(思潮社)と本書から。
 

6.16(月)歯医者さん、区役所、J堂駅前店、Sブックス、ギャラリー島田、ちょこっと古本屋さん、うみねこ堂Nさんとすれ違って挨拶だけして、元町商店街事務所、くとうてん。えらい忙しいやん! 帰宅したら、イベントにきてくださったH牧師から出版カンパが届く、感謝。Sさんからはメールでパーチー写真サイト告知、参加者には会場で案内ずみだそうですが、メルアド忘れた人はSさんに連絡してください。
【海】ポストカードの「ブックカバー」は売り切れました。

(平野)