2014年6月23日月曜日

環状彷徨


 宮崎修二朗 『環状彷徨 ふるさと兵庫の文学地誌』 コーべブックス 19772月刊

「環状彷徨」とは、登山中の濃霧や吹雪で、「人間の右利き、左利きによる左右不称相に因をなす山に危難のことである。すなわち、同一の場所を中心にして右か左に環状彷徨すること」(『山岳講座』第3巻、白水社)。
 宮崎が敬慕する詩人・富田砕花の詩にもこの言葉がある。

 人間疎外/冗談でしょう/吹雪く原に/思索の/環状彷徨

 函の絵は竹中郁。
 
 

目次
序 旅だちのまえに――兵庫県の風土と人

一 港の文学地図〈神戸市〉 メリケン波止場 潮の香の中で 青い瞳の詩人たち 神戸の暗い季節 開化の風景 元町文学散歩 ……

二 武庫野のこだま〈阪神地帯〉 芦屋川のほとり 甲子園の界隈 武庫のわたり 俳諧の町 猪名川遡行 竪琴の町 ……

三 山なみと潮騒のうた〈丹波但馬〉 城のある町 丹波の牧歌  円山川 潮鳴りの中で ……

四 古風土記の山河〈播磨〉 姫路文学の面影 室津へ 忠臣蔵の町 龍野の歌など 播州平野 人丸山柿本神社 ……

五 島の細道〈淡路島〉 淡路島へ 潤一郎の淡路 おのころ島 鳴門のうた ……

あとがき  人名索引 作品名・誌紙名索引

 

 正岡子規が日清戦争従軍記者の任務からの帰途、船中で喀血し、和田岬に上陸。担ぎこまれたのが神戸病院。明治28522日。

……病院へ着いたのは「丁度灯ともし頃」。病室は二階の一間で当時はまだ閑静であった下山手八丁目の空を(ホト)(トギス)鳴いて過ぎたりもした。

  時鳥山手通りと覚えたり

は入院中の句であるが、若いころから肺結核でしばしば血を喀いたところから、時鳥になぞらえて子規と名づけた彼が、この地でふたたび血を喀き続けながら、あるいは鳴いて血を喀く時鳥の己れの身の最期を、改めて自覚したのではなかったか。……

 
 723日、虚子につきそわれて須磨保養院に移る。

  嬉しさに涼しさに須磨の恋しさに

 

(平野)
 神戸病院はわが小学校の学区内だったと知る
。明治34年に別の場所に移転。