2014年6月26日木曜日

ふり向けば港の灯


 『日本随筆紀行第十九巻 神戸/兵庫 ふり向けば港の灯』 作品社 19874月刊

港におくる  竹中郁

神戸
神戸の明治情緒を求めて  佐藤愛子
ノスタルジア神戸  淀川長治
金星台から  陳舜臣
他人の顔をした町  花森安治
筒井康隆、横溝正史、野坂昭如 ……

阪神
別当薫、小出楢重、大宅壮一、田辺聖子

播磨淡路
岩野泡鳴、足立巻一、長塚節、竹内勝太郎 ……

丹波但馬
深尾須磨子、岡部伊都子、椎名麟三 ……

装幀 菊地信義  装画 小高佳子

「神戸の港」 田宮虎彦

 田宮(19111988)は東京生まれ、作家。父の転勤(船員)で9歳から神戸暮らし。

 私は神戸で育ったので、神戸のことはよく小説の中に書いている。夜おそく町並も寝しずまった頃、港の中を小蒸汽の走っていくポンポンポン……という機関のおとや、ピュウッーとなきしきるようにきこえてくる汽笛のひびきは、今でも思いだすとなつかしくてたまらない。幼かった頃、自分が虚無の中にいるような切なさをわけもなく感じている時に、そういう淋しいひびきが聞えてくるのであった。また外国航路の大きな汽船の、ボオッーとひびいて来る汽笛もさびしかった。何故、こんな淋しい思いばかりがまつわりついていたのだろう。船というものが、別れを心にいだかせるからだろうか。それもあるに違いない。海そのものも、もともと淋しい思いをいだかせるものかもしれない。……

 神戸一中時代、友人が学校をやめてブラジルに旅立つのを見送った。ブラジル移民は国策で、別れの悲しみよりも海外雄飛の喜びを感じた。戦争中、新潟から満州に行く船で移民する人たちと一緒だった。満州移民も国策だったが、ここでは強い別れの悲しみを見た。
 南にひらく神戸の海と北にむかう新潟の海、それだけの違いで二つの別れの違いの大きさを感じた。
 神戸港について、海からの美しさも語る。毎年夏、両親の郷里・土佐に行くのは海路、700tくらいの滋賀丸。

……白波が船尾にわきたつ。私は、甲板にたって、それをみている。桟橋の灯のかたまりが少しずつと遠ざかっていく。海岸通りの町並の灯が、港にゆらめくかげをうかべる。そして、やがて、市章字山や測候所山(そんな言葉が今も残っているかどうか)の山腹につらなる街の灯がきらきらときらめいて、夜の闇の奥につらなって見えはじめる。
 その頃、神戸市の人口は六十万か七十万であった。その神戸の町の家々の窓の数ほどの灯が、遠く港外に出た滋賀丸の甲板からみえていた。

 田宮は小学4年生の時、作文でその輝きを「ダイヤモンドのよう」と書いた。先生が皆に読んで聞かせてから、冷たく言った。「人の書いた文章をうつして来たって先生はだまされません」。
 確かに田宮少年はダイヤモンドなど見たことはなかった。でもね、彼の心は神戸の灯をそう感じたのだよ。

(平野)
「ほんまにWEB」奥のおじさんさすらい月報第3回アップ。
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