■ 『神戸 我が幼き日の……』(3)
田宮虎彦 『幼年より』「私のふるさと」
私にはふるさとが二つある。先祖代々の墓地のある土佐と、二十歳の頃まで育った神戸とである。私の父は船のりだった。土佐に生れた父は海を恋うて船のりになったのかもしれないが、そのため神戸というバガボンドの町で、幼少の頃を送ることが出来た私は、今は思いかえして実に幸福だったと思う。母のふところできいた船出の汽笛は、涯しらぬ遠い世界への夢と、ふるさとへの絶ちがたい愛惜とを私の心に植えつけてくれたようだ。……
母の目を盗んで突堤に遊びに行って……、
……もやっている小蒸汽から岸壁へかけて、綱でつないだ伝馬にのって海の中におちたことがある。日射しが縞目になって海の中までさしていたのを、伝馬の舟べりをしっかと握りながらみたことを思い出す。思い出は恐れといったものでなしに、美しい海の世界をみたなつかしさだ。たしか四月か五月の頃であったと思う。
『少年』より「食べものの記憶」
父親は好きなものをたくさん食べる。好きなものが一品食卓にあればいい、という人。虎彦は少しずついろんなものがある食事がしてみたかった。母親は家事が好きではなかったが、料理は上手だった。その味を受け継いでいると思う。母は料理よりも好きなことがあったのだろう。
……私は、兄と二人だけで、食事をした記憶が、矢鱈と多いのである。(二人だけですき焼きをするが、牛肉の代わりに厚揚げ)兄がどこからか覚えて来たものである。このアゲのすき焼きは案外うまいものである。兄も死んでしまったが、私は、兄のことを思い出すと、このアゲすきを思い出す。父も母もいない食事など佗びしいのだが、アゲすきは、この侘しさの象徴のようなものである。……
出版社社主は亡くなった兄の友人という縁。
絵は小松が描いた英国領事館玄関のマーク。