■ 海文堂生誕まつり「99+1」
記念展 5月31日(土)~6月11日(水)
ギャラリー島田 1階deux
6.5(木) 本日はハローワークに行かなければならないので、会場には“重役出勤”。
元トーハンのKさん、尊敬する大阪の書店員N姉来場。K出版社児童書担当Tさんも。 ご町内のKさんからは新刊本をいただく。【海】で売らねばならなかった本。
中央図書館Tさんとコネができた。
絵も本も快調。新刊も追加納品。やっぱり、現在の日本で「みずのわ」を一番売っている。神戸新聞総合出版センターはどうか? 成田一徹さんのは一番! かも。
二回目来場の方もちらほら。GF・Kさんは明日からアメリカ出張。近々Kさんのお友だちが来てくれるそう、絶対名乗ってね。
S夫妻は皆勤継続、6日の“一日店長”志願。
詩人さん(もう完全にスタッフ細胞? ちょっと意味不明?)ずっと一緒。
皆さんありがとう。
閉廊後、店長はGFと飲み会で、私はJ堂寄って帰宅。
4人の詩人、与謝野晶子、高村光太郎、山之口貘、金子光晴の詩と人生。
全くタイプのちがう、それぞれの生きかたをした詩人を選んだのに、たくさんの共通点があることに、書きながら気がつきました。
いずれおとらぬ貧乏の経験者であること。みんな、なんらかの世俗にたいする、もうれつな反逆者であったこと。
世わたりがへたで、さんざんへまをやらかしていること。
考えてみると、世の親たちが「わが子にだけはこんな一生を送ってもらいたくない」とおそれているような人生を歩いた人ばかりです。
山之口貘、1903年(明治36)年那覇市生まれ、本名山口重三郎。父は銀行の支店長だったが、事業に手を出し失敗。支店長として漁師に貸した金も不況で返ってこず、彼らの証文をみな焼いて逃亡。一家は散り散り。1925年、貘さんは上京、放浪生活が始まる。
貧乏詩人、借金屋の貘さん、便所の汲み取り人夫だった貘さん……、さまざまなエピソードがある。“徹底的貧乏”だった。しかし、優しい微笑、ひょうきんぶりが人々に愛された。
「自己紹介」
ここに寄り集まった諸氏よ
先ほどから諸氏の位置に就て考えているうちに考えている僕の姿に僕は気がついたのであります。
僕ですか?
これはまことに自惚れるようですが
びんぼうなのであります
貘さんと金子光晴について。
光晴は無一文外国放浪から戻ったばかり。“個人としてのはだかの人間しか認めようとしなかった人”。初めて会った貘さんの人柄もすぐに見抜いた。
貘さんもまた、光晴のなかに、自分とおなじようなボヘミアン気質――社会の道徳や名誉を無視して、人間らしい人間として、自由気ままに生きてゆく、その代償として貧乏につぐ貧乏がおそってきてもへいちゃらさ――。そういう自由人を見たのでした。
生涯を通じての友となった。光晴は着ているものを質に入れて貘さんにごちそうした。結婚をとりもち、住まいを用意し、新婚生活の世話もした。
貘さんの最初の詩集『思弁の苑』に序文を書いた。
「日本のほんとうの詩は山之口君のような人達からはじまる」
貘、34歳での第一詩集。
「万感こもごも胸に迫って、男泣きとなった」
「万感こもごも胸に迫って、男泣きとなった」
時代は戦争に向かう。詩人たちは(も)戦争を賛美する。二人は街を歩きながら、彼らを批判し軍部を罵倒した。戦争の結果をわかっていた。
(平野)「みずのわ」FBで“海文堂生誕まつり”告知。日本で一番(ということは世界一)同社の本を今販売しているイベントでっさかい。
https://www.facebook.com/Mizunowashuppan