2014年6月6日金曜日

うたの心に生きた人々

 海文堂生誕まつり「99+1」 

記念展 5月31日(土)~6月11日(水)

ギャラリー島田 1階deux

 6.5(木) 本日はハローワークに行かなければならないので、会場には重役出勤
 元トーハンのKさん、尊敬する大阪の書店員N姉来場。K出版社児童書担当Tさんも。   
 ご町内のKさんからは新刊本をいただく。【海】で売らねばならなかった本。
 中央図書館Tさんとコネができた。
 絵も本も快調。新刊も追加納品。やっぱり、現在の日本で「みずのわ」を一番売っている。神戸新聞総合出版センターはどうか? 成田一徹さんのは一番! かも。
 二回目来場の方もちらほら。GF・Kさんは明日からアメリカ出張。近々Kさんのお友だちが来てくれるそう、絶対名乗ってね。
 S夫妻は皆勤継続、6日の一日店長志願。
 詩人さん(もう完全にスタッフ細胞? ちょっと意味不明?)ずっと一緒。
 皆さんありがとう。
 閉廊後、店長はGFと飲み会で、私はJ堂寄って帰宅。

 茨木のり子 『うたの心に生きた人々』 
ちくま文庫 820円+税 19949月刊(元本は6711月、さ・え・ら書房)

 4人の詩人、与謝野晶子、高村光太郎、山之口貘、金子光晴の詩と人生。

 全くタイプのちがう、それぞれの生きかたをした詩人を選んだのに、たくさんの共通点があることに、書きながら気がつきました。
 いずれおとらぬ貧乏の経験者であること。
 みんな、なんらかの世俗にたいする、もうれつな反逆者であったこと。
 世わたりがへたで、さんざんへま(、、)をやらかしていること。
 考えてみると、世の親たちが「わが子にだけはこんな一生を送ってもらいたくない」とおそれているような人生を歩いた人ばかりです。

 山之口貘1903年(明治36)年那覇市生まれ、本名山口重三郎。父は銀行の支店長だったが、事業に手を出し失敗。支店長として漁師に貸した金も不況で返ってこず、彼らの証文をみな焼いて逃亡。一家は散り散り。1925年、貘さんは上京、放浪生活が始まる。
 貧乏詩人、借金屋の貘さん、便所の汲み取り人夫だった貘さん……、さまざまなエピソードがある。徹底的貧乏だった。しかし、優しい微笑、ひょうきんぶりが人々に愛された。

「自己紹介」

ここに寄り集まった諸氏よ
先ほどから諸氏の位置に就て考えているうちに
考えている僕の姿に僕は気がついたのであります。

僕ですか?
これはまことに自惚れるようですが
びんぼうなのであります

 貘さんと金子光晴について。
 光晴は無一文外国放浪から戻ったばかり。個人としてのはだかの人間しか認めようとしなかった人。初めて会った貘さんの人柄もすぐに見抜いた。

 貘さんもまた、光晴のなかに、自分とおなじようなボヘミアン気質(かたぎ)――社会の道徳や名誉を無視して、人間らしい人間として、自由気ままに生きてゆく、その代償として貧乏につぐ貧乏がおそってきてもへいちゃらさ――。そういう自由人を見たのでした。

 生涯を通じての友となった。光晴は着ているものを質に入れて貘さんにごちそうした。結婚をとりもち、住まいを用意し、新婚生活の世話もした。
 貘さんの最初の詩集『思弁の苑』に序文を書いた。

「日本のほんとうの詩は山之口君のような人達からはじまる」

 貘、34歳での第一詩集。
「万感こもごも胸に迫って、男泣きとなった」

 時代は戦争に向かう。詩人たちは(も)戦争を賛美する。二人は街を歩きながら、彼らを批判し軍部を罵倒した。戦争の結果をわかっていた。

(平野)「みずのわ」FBで“海文堂生誕まつり”告知。日本で一番(ということは世界一)同社の本を今販売しているイベントでっさかい。

https://www.facebook.com/Mizunowashuppan