■ 宮崎修二朗 『文学のおもかげ 東灘』 神戸市民文化振興財団 神戸市立東灘文化センター発行 1986年(昭和61)10月刊 装画・上尾忠生
東灘ゆかりの作家・文学紹介。
文学とは、人間の心のいとなみを理解するためのものだと思います。一部専門家の生業やそれを商業とする人の商品であったり、受験勉強の材料、また低次元の趣味娯楽であってはならないものです。他人の心情を思いやったり、より添ったりすることができて、はじめて世の中――人間関係――は平和になるのですから。……
目次
読んでいただく前に
第一部
古典その残り香 古代は香る 古歌をたずねて 旅路のほとり 漢詩をたずねて 庶民文芸の舞台 ふるさとの歌のこだま
第二部
近代その残り香 文明開化のころ 六甲山鳴動のルポルタージュ 灘酒をたたえる歌 詩人・歌人のおもかげ 俳句であるく東灘 谷崎文学をあるく 戦火の東灘と文学 ……
おぎない あとがき 人名索引 作品名・書名・雑誌名索引
仕事歌。庶民の生活の中から生れた「口承文芸」のひとつ。
この仕事歌は、メロディやテンポが労働の辛さを軽減させてくれる効果があります。同時に時計のなかった時代には、作業時間を測定するための時計代りになったのです。だから酒造労務者の採用条件のひとつに歌が上手であることもあったそうです。
作業の過程でさまざまな歌があったらしい。宮崎が紹介する歌詞。
酒屋しもうたら 灘へつれて行こ 灘の横屋で 世帯さそ
夜なか起きして 手元かくときにゃ 親の家での こと思う
親の家での 朝寝のばちで いまは朝起き 夜詰する
酒屋杜氏は 若うてもおやじ 茶より婆でも より子さん……
丹波雪国 つもらぬさきに 連れて越します 老の坂
あの山なけりゃ 丹波が見える 丹波恋しや 山にくや……
季節労働者たちは丹波から来ていた。
谷崎の阪神生活は23年。大正12年、谷崎が箱根滞在中に関東大震災。9月5日芦屋の伊藤家に落ち着き、9日神戸から海路横浜に。20日家族を連れて海路神戸、芦屋、京都。京都は寒くて12月西宮、さらに武庫郡本山町(現在神戸市東灘区)、岡本。『蓼喰う虫』『卍』などの作品が生れたが、「妻君譲渡事件」、再婚、別居、離婚、松子との結婚も。住まいは魚崎、本山、精道村、住吉と移る。『源氏』現代語訳。『細雪』執筆、第1回が『中央公論』に掲載されたのは昭和18年新年号。しかし、当局はその耽美性を「戦時下に不謹慎」と掲載を中止した。
だが屈しない作家魂は、発表の当てもない作品の執筆をつづけ、上巻として予定していた二十九章を一本にまとめ、二百部の私家版として知友に頒けた。奥付の発行日は昭和十九年七月十五日となっている。……
その私家版も、刑事が来て始末書を要求され、中巻以降は中止。
昭和20年5月、岡山県に疎開。阪神での生活が終わる。
(平野)
6.21(土)
妻と映画見たあと、ゴローちゃんと“京都珍道中”。詳細はどこかでネタに。
古書善行堂さんで『ほんまに』相談というか、お願い。いつもたくさんヒントをもらえる。お客さんは、本だけではなく、きっと彼との話も目当てなのでしょう。
6.22(日)
ギャラリー島田行って、市立博物館、満員の人を見る「ボストン北斎」。皆さん熱心に鑑賞してはって列が一向に進まない。頭越しにさーっと見て退場。
【海】創業者の曽孫に当たる人とつながりができた。私一人ではつながり得なかった人。人間関係が大事。