■ 大江健三郎
『晩年様式集 イン・レイト・スタイル』
講談社 1800円+税
装丁 司修
東日本大震災から100日ほど、長江古義人(ちょうこう・こぎと)はテレビ番組――福島原発爆発による放射性物質汚染を追跡――を深夜まで見る。ブランディー(友で義兄・塙吾良が自殺したときにガブ飲みしたものの残り)を飲む。二階の書庫に行く途中の踊り場で、「ウーウー声をあげて泣く」。階下で眠る妻、書庫で寝るアカリ、両方に泣き声を聞かれない最良の場所だった。ベッドに入った彼の脇にアカリがやって来て語りかける。
……
つまりさきほどの泣き声はしっかり聞きとられていたのだと観念して、恥ずかしさから眠ったふりをしている私に、もう中年男の声音が露わでありながら、モノマネの語り口は止めないままで。
――大丈夫ですよ、大丈夫ですよ! 夢だから、夢を見ているんですから! なんにも、ぜんぜん、恐くありません! 夢ですから!
……
大江読者はご存知のとおり、長江=大江、アカリ=長男、塙=伊丹十三。
長江は長男をはじめ家族をモデルにして作品を書いてきた。
引用文中に「モノマネ」とあるのは、旧作がラジオドラマ化され、アカリが自分を演じた俳優の真似をしたのだった。
「あなたに一面的な書き方で小説に描かれて来たことに不満を抱いている」
「アカリさんの知的障害を、根本のところで尊敬していないんじゃないか」
これまでの作家活動と次の世代への言葉が綴られる。
実生活で初孫が誕生した時に作ったものだが、作中で娘に、
「自分のことは仕方ないけれど、次の世代まで巻き込むな」
と釘を刺されている。
……
私はそれが進行するなかで死んでゆく年齢を迎える。そこで『晩年様式集 イン・レイト・スタイル』には、これらの問題も一緒に書いています。子供の頃、自分に影響を与えてくれた人たちのことも、障害をもつ息子のことも、ずっと宿題だった自分のこれまで生きて来た課題をそれぞれに……つまりいろんな様式で、ということです。(略)小説家は誰もが自分は今こういう窮状を生きていると、それぞれに書き続けるしかないんです。『晩年様式集 イン・レイト・スタイル』はとくに晩年の小説家の「人生の習慣」にしたがって、何度も同じ場所を掘りながら、一段深いところへ到達しようとしています。(略)私の場合、繰り返して書かざるを得ないのは障害をもつ子供のこと、それから地方の森の中で育った人間だということ。それが自分という作家の背骨です。
…… 「大江健三郎ロング・インタビュー――最新作『晩年様式集 イン・レイト・スタイル』と3.11後のこと」 聞き手・構成 尾崎真理子 『新潮』2013年12月号
◇ 日記 11月15日 金曜日
本日付けをもって名実とも「元書店員」に。健康保険証も返還して「フリー」。ただの「おっさん」である。
この間、天から降ってきた図書カードも使い果たした。
朝時雨本を買えるはいつの日ぞ?
「ほんまに」原稿、ゴローちゃん担当分を読ませてもらう。みんなの文章に、ついつい鼻をすすってしまう。
完成を待っていてください。
こんなんなっている。「くとうてん」ツイッターより。
(平野)