■ 嵐山光三郎 『現代語訳 徒然草』 岩波現代文庫 740円+税
あんまり思い出したくない「古典」の授業。
つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ
嵐山はこの書き出しを、吉田兼好が「一番最後に書きたしたもの」と。
兼好は出家前、堀川大臣家の家司(けいし)=学芸員・事務員・秘書官。堀川家の娘が皇子・邦良(くによし)親王の母。兼好は親王の教育役だった。
……
『徒然草』は邦良親王がりっぱな天皇になるためのテキストとして書きはじめられました。『徒然草』」の最初が君主論で、教訓的であるのはそのためです。
……
しかし、親王は正中三年(1306)27歳で亡くなる。
本書では、各段に「兼好・かげの声」として、彼の“本音”(段によって反対のことを書いていることもある)を補足。
……
たいくつしのぎに、一日中すずりにむかって、つぎからつぎにうかんでくることを書くことにした。とりとめもない話だから、書くわたしのほうだってへんな気分になる。
かげの声――というのは、まっかなうそで、これは帝王学なのだ。(親王が皇位につくため)人間の本能・本性・心理・恋愛・旅・音楽などに関して、わたしが知りえたことを書きつくそうと思っている。(略、へそ曲がりだから、そのときの気分でいうことが変わるが、真実には二つの面があることを学べ。書き出しもとぼけてみた。わたしの話には裏がある。)
……
第一段
天皇はまことにりっぱな地位。男として身につけたいのは真の学問の道。漢詩、和歌、音楽、古典、礼儀作法。人の模範になり、文字がじょうずで、声がよく、リーダーシップをとる。酒をすすめられたら、遠慮しながらもちょっとだけは飲めるくらいにする。
第二段
むかしのえらい天皇の教えを忘れてはいけない。
第三段
恋愛
第四段
仏の道
第五段
理想の生活
子どもはなくてもいい、人間はいつ死ぬかわからない、人の心はおろかなもの、読書、歌、生活は質素に、などなど。
……
年が若い者にも、からだがじょうぶな者にも、おもいがけぬ死がやってくる。きょうまで死なずにすんだことのほうがふしぎなのだ、と思わなければならない。(略)武士が戦場にむかうときは、死に直面するから、家のことも自分のことも忘れる。ところが、世俗をはなれて草庵の生活を楽しんでいると、死はこんな静かなところとは無関係だと思ってしまう。静かな山のおくであっても死という敵はかならず攻めてくるんだ。
かげの声――ひとの世のはかなさ、無常を説いてきたわたしだが、これはつらかったよ。いっそ『徒然草』を書くのをやめようと思ったほどだ。しかしわたしは書きつづけることにした。それはこの書を、この世の心あるすべての人にささげようという決意からだ。草庵に住むわたしは、戦場にむかう武士が死にたいするのとおなじ覚悟で、日々心にうつることを書きとどめておくことにした。
……
ちょうど鎌倉幕府末期、動乱の時代。
兼好さん、お酒がお好きだったよう。失敗経験もある。酒席のこと、酒グセの悪い男のこと、酒飲みの心得などを書いている。
第二百十五段では「いい酒」のことを。ある歌人が若い頃、時の執権から夜遅くに呼び出された。用意に手間取っていると催促の使いまで来た。執権「ひとり飲むのがさびしい」、歌人に肴をさがしてくれと頼む。台所に味噌が少しついた皿があったので持って行くと、「それで十分」と。歌人、じつにいい酒であったと思い出話。
元本は、2001年『嵐山光三郎の徒然草/三木卓の方丈記』(講談社)。
(平野)