2014年9月10日水曜日

私の夢日記


 横尾忠則 『私の夢日記』 角川文庫 1988年(昭和637月刊  79年同社から単行本  カバーの絵も横尾。

 書名のとおり、55年から88年に横尾が見た(記憶していた)夢日記。
 横尾忠則は1936年西脇市生まれ、美術家。56年から59年、神戸新聞社勤務。

1960年  泥水と黒い球体

神戸新聞社の廊下に立っている。急に建物が大きくゆれて傾斜しはじめた。廊下にいた数人の人達がズルズルとすべり落ちていった。
(何が起こったのだろう?)
ぼくはやっとの思いで窓にしがみついている。窓の外はいつの間にか泥の海だ。六甲山の中腹まで水が押し寄せ、いつの間にか六甲山は海に浮いた島と化している。僕のいるのは六階だ。今にも窓から褐色の泥水が入りこんできそうだ。廊下の下に流された人々は次から次へと泥水の中に沈んでいく。建物もまるで船のように流されていく。僕は窓づたいに建物の反対側に廻った。目の前には黒光りした全長一〇〇メートルもあろうと思われる巨大な球体が水の中から半分頭を出し、視界を閉ざしていた。

 よく登場するのは、UFO、西脇の実家、三島由紀夫、それに性に関すること。日記は年々増え、1年に数えるほどから、月に12回、3~4回と増え、75年急増し、76年には月に56回になる。1回分の記録も長い。翌年からは減る。何か意識するところがあったのだろう。夢から作品ができることもある。

 1976年の日記から。 

29――午前六時=自宅  野坂昭如氏の死とお巡りさん

野坂昭如氏が死んだ。大変なショックを受けた。三島由紀夫氏に続いて野坂氏。二人の死は先の日本を暗示しているようで暗い。(略)
どっちにしても野坂氏の生き方は命を縮める生き方だ。こんな生き方だけは真似すまいと自分にいい聞かせる。そこへ一人の若いお巡りさん。昨日(二月八日)総持寺で逢ったばかりのお巡りさんだ。この時お巡りさんがいった言葉がふと頭をよぎる。「野坂さんと、あなたは未来をリードしています」。(夢の中ではなく本当に昨日はそういったのだ)。
野坂家のなかではあわただしく人々が動き廻っている。野坂氏の死がまだ世間に知れわたっていないのか、ごく内輪の人達ばかりのようだ。ジャーナリストも著名人の姿もない。どうしてぼくがこんなに早く野坂氏の死を知っているのだろう。不思議だ。家の奥に飾られている野坂氏の遺影が妙に恐ろしく見える。

 野坂昭如は健在です、念のため。

「夢日記」といえば、昨日紹介の本の中に島尾敏雄のことが出ていた。富士正晴の証言。

わし、あいつとこへ泊ったことがあるから、知ってるけど、あいつ寝るとき枕もとにノートと鉛筆おいてるねんで。夢みたらすぐ目ェ覚ましてな、メモしよんねん。これが作品にじき出てくるやろ。島尾においては夢か(うつつ)か、現か夢かやねん。精神の通路がありよんのや。(略) (島京子『竹林童子失せにけり』編集工房ノア)

(平野)