■ 陳舜臣 『他人の鍵』 文春文庫 1977年(昭和52)9月刊 69年に『別冊文藝春秋』に掲載。 解説 野口武彦 カバー写真 秋山庄太郎
ヒロイン清原織雅(おりが)22歳。昭和21年秋、北野町の豪邸。彼女は実業家・小谷の愛人だった。金と色の男。彼を殺すつもりで合鍵を使って邸にしのびこむ。彼女はアメリカ人将校にプロポーズされていた。ポケットにピストル、寝室に入ると……小谷は既に血を流して死んでいた。
織雅の父は日本人、母は白系ロシア人、ハルピンで結婚。日本に帰り、神戸山手の外人長屋で暮らした。父が亡くなると、母は東京の親戚を頼り、ロシア語を教えながら娘を女学校に通わせた。戦争中、織雅が卒業して、母娘は神戸の長屋に戻った。長屋には幼い頃一緒だった人たちが住んでいた。中国人、ポルトガル人、トルコ人、管理人の日本人母子(あき子、隆夫)もいた。近所には日本人の幼なじみもいた。
神戸の北野町、山本通一帯は、むかしから外人の住宅が多い。ふつうのまちで、人口構成が日本人より外国人のほうが多いのは、日本じゅうでもそう多くないだろう。
ひろい緑の芝生の庭、瀟洒な洋館が、坂道のところでは積み重ねたようにみえる。収入が多く、生活程度も高い外人たちがそんな場所に住んでいる。だが、すべての外人がそうなのではない。下宿屋のつもりで建てられたこの外人長屋に住むのは、いわば一般外人のレベルから、はみ出したような人たちなのだ。
北野の異人館というと、お金持ちのイメージを持つが、この話に登場するのはそういう人たちではない。織雅は混血娘だし、他の子の親たちも、中国人はコック、ポルトガル人のピアノ教師は世界放浪者、トルコ人はソ連からの亡命者。
外人長屋の子供たちの日本語は、神戸弁の部類にはいるが、完全なそれではない。日本の学校で勉強したのは、隆夫のほかは織雅だけである。だが、彼女も、家庭ではロシア語を常用した時期があった。
ほかの子供たちは、外人学校で英語、トルコ語、中国語などを習い、週に何時間か『日本語』の授業もあって、かんたんな文章なら読める。しかし、新聞ていどになると、もう歯が立たない。
事件の翌々日、幼なじみたちが復員してきた隆夫の歓迎パーティー、お好み焼き屋に集まる。織雅と小谷の関係、将校との交際を皆うすうす知っている。幸せになってほしいと思う。パーティーの最中、長屋が火事。あき子の焼死体が発見される。
日本人社会で生きる外国人たち。この国に住んでいてもこの国に属していないという不安。しかし、民族は違っても、戦争の混乱のなかでも、彼らは共通の思い出を持っていた。
(平野)
陳さんのエッセイで、子ども時代の話。陳さん含めて皆国籍が違う。いっしょにお好み焼き屋に行く。宗教上、豚肉を食べてはいけない子もいる。
「おれブタあかんねんでー、ブタの油もあかんねんでー」
店のおばちゃんは平気な顔して焼いている。