■ 山田稔 『スカトロジア(糞尿譚)』 講談社文庫 1977年(昭和52)10月刊(手持ちは79年4月3刷)
60年代前半、断続的に『VIKING』で発表、66年未来社から単行本。文庫化で4篇追加。
目次
スカトロジアとはなにか
糞をしたいてスウィフト考
尻を拭く話
垂れながし
エセ食糞譚
……
著者は1930年福岡県生まれ、フランス文学者、小説家、元京大教授。古今東西の文学から目にとまった糞尿譚を紹介する。
漱石や太宰も作品の中に書いている。古事記でもそこから神が生まれる。西洋文学作品でもある。
私見によればスカトロジーには大別して二つのタイプがあるように思われる。「陽のスカトロジー」と「陰のスカトロジー」、あるいは「解放型=ルネッサンス型」と「挫折型=実存型」である。
「陽」の代表は、ラブレー、ボッカチオ、チョーサー、そしてバルザック。
……これらの特徴は、糞尿譚によってひきおこされる笑いの明るさ、無邪気さである。ここでは糞尿イメージは象徴性をほとんど帯びることはない。「汚物」をあえて描くことによる社会風刺、あるいは清浄へのパロディの意図はあっただろう。……
20世紀になると台頭するのが「陰」。その始まりは18世紀のスウィフトとサド(文学的にではなく、スウィフトの「風刺」ではない「否定」と、サドの「反社会・反逆」を結びつける)。実存主義に結びつく。
サド=スウィフト系列のスカトロジーにはもはやルネッサンス的笑いの明るさは感じられない。ラディカルな反逆性とそれゆえの深い疎外感、挫折意識、あるいは狂気すれすれの人間嫌い、――この系列のスカトロジックなイメージは多少ともこのような暗い不幸の意識が生み出したものなのだ。……
(平野)
排泄物の話はおおっぴらにしてはいけない、らしい。でも、時としてこの話で盛り上がってしまう。
中学生の頃までトイレは汲み取り式。大きな穴の中にいっぱい溜まっていた。月1回ヴァキュームカーが集めに来た。見える所にあった。