■ 高橋輝次 『ぼくの創元社覚え書』 龜鳴屋 1600円+税 2013年10月刊
造本設計 龜鳴屋
表紙イラスト グレゴリ青山
表紙イラスト グレゴリ青山
目次
戦前、戦後の創元社(東京)編集部に集った文士たち
私のセンチメンタル・リーディング[附録]石橋秀野『桜濃く』を読む
あとがきに代えて
「拾い読み」の思い出 高橋英夫
著者は1946年伊勢生まれ、神戸育ち。銀行勤めを経て、69年創元社入社、編集者。92年病気のため退社し、フリーに。古本愛好家で著書多数。
「創元社」は、1892年(明治25)創業した書籍小売店「矢部晴雲堂」が始まり。1925年、出版部門「創元社」設立。第1作は『文芸辞典』。38年、東京支店が小林秀雄を顧問に迎えて出版開始。詳しい沿革・歩みはこちらを。
48年、東京支店が「東京創元社」として独立。
高橋が入社した頃の「創元社」は、カーネギーの本、東洋医学、歴史散歩などが主力。
「社の基本方針として、文芸物、とくに小説は出さないと聞かされていて……」
戦後、出版ブームが起きたが、すぐに不況で出版社は次々倒産した。東京創元社は倒産を経験し、大阪も不渡り手形を出した。高橋の入社は「危機を脱し、上向きに発展していた頃」だった。
高橋は新人時代から企画を立て、心理学・精神医学分野を開拓してきた。同社の大きな柱となった。
高橋の「創元社」文芸出版史への関心は趣味の古本探しによって満たしてきたと言える。古本を通して、「創元社の歴史のある側面」をスケッチする。
OB作家が何人もいる。
時代小説の隆慶一郎(1923~89)は戦地から戻って東大仏文科に復学。卒業の48年は辰野隆の退官に当たっていて大パーティー。小林秀雄が弟子代表で祝辞、寺田透が大暴れして、渡辺一夫が隆に「場内整理」を命令し寺田は屋上に放り出された。そのあと隆は小林に創元社入社を頼む。返事は「いいよ。明日からおいで」。
隆の回想。
「奇妙な出版社だった、と今になってつくづく思う。自分たちが面白いと思う本は絶対に売れる筈だ。固くそう信じた面々が本を出している出版社である。しかもそう信じているのが小林秀雄、河上徹太郎、青山二郎と来ては、これが営利団体であるわけがない。それはまさに一個の塾だったと思う」(『時代小説の楽しみ』講談社文庫)
私は今でもときおり憶い出す。大阪市北区樋上町にあった木造二階建ての旧社屋のことを…。(略)横幅のある急傾斜の階段をミシミシ音をたてながら登ると、すぐ左側に南側が道路に面した編集部があり、右側には社長室の扉があった。その階段はむろんお客や著者たちが上り下りしたが、私どもは大抵、裏口の倉庫の横からの狭い階段を登って編集部へ入ったように思う。……
グレゴリさんのイラストが雰囲気を伝えている。
(平野)
本屋新米時代、「創元社」を「大阪創元社」と呼んでいた。上記のとおり、ビジネス書・趣味実用・関西本が主力。村山リウ『源氏物語』が常備図書にあって、かつての文芸出版の香りが残っていた。現在は人文書や豪華図鑑で、“総合出版社”のイメージ。
「龜鳴屋」は出版社直接販売。http://www.spacelan.ne.jp/~kamenaku/
◇ 海文堂書店100周年企画
■ 海文堂生誕まつり「99+1」
記念展 5月31日(土)~6月11日(水)
ギャラリー島田 1階deux
○海文堂ギャラリー&ギャラリー島田ゆかりの芸術家作品展(展示と販売)。
○海文堂書店の歩みを写真と資料で紹介。
○海文堂書店関連の出版物販売。
○100周年記念ポストカード作成・販売。
○土日限定「古本市」。
【海】は昨年9月に閉店いたしましたが、本年6月1日が創業100年に当たります。