■ 稲垣足穂 『花月幻想』 立風書房 1994年3月刊
足穂は幼い時から父親の影響で謡曲に親しんだ。仕舞を習い、後に観世左近となる少年と同じ舞台に立ったこともある。
目次
日本の天上界
花月幻想曲――天狗考天狗考
虚空を天狗と来ぬる国いくつ 花月幻想Ⅰ
取られて行きし山々を 花月幻想Ⅱ
誘われ行きし夜
現代の魔道
鼻高天狗はニセ天狗
……
天上界への消息……天狗考の形成 高橋康雄
装幀 芦澤泰偉 装画 辻和子
「花月幻想曲」より
蕪村全集連句篇で見つけた句、
虚空を天狗と来ぬる国いくつ 百万
たちまち僕の脳裡には、幼少期の、父を中心にした謡曲的雰囲気が蘇り、清水寺の境内で羯鼓を打つさすらいの子がクローズアップされた。
「春は花のka、夏は瓜のka、秋は果実のka、冬は火のka、これそ加えて月は常住なれば、自らをKa‐Getuとこそ名乗り候」と云って、彼は衆人の前で、七ッの年、天狗に取られて以来の悲しく懐しい山巡りの唄を聞かせる。(略)この羯鼓少年の舞の件りは、謡曲にはめづらしいなだらかな、流れるような調子だったから、何か手廻しシンプレックス映写機のモノトナスな歯車廻転の音が覚えられ、詞につれて、九州四国山陰京都大和にかけての山々が、――譬えば青い月明の下方のシルエットになって――フィルムのように移り繞るのだった。
謡曲の調べに、少年が天狗にさらわれ山々を巡った光景を思い浮かべた。足穂は成人して、映像化を考えたが果たせなかった。
謡曲、薄幸の美少年、天狗、飛行、足穂好みがそろう。
足穂の「天狗」は、私たちが想像する巨体・赤顔・長い鼻の「鼻高天狗」ではなく、「烏天狗」。
(平野)