■ 白石一文 『神秘』 毎日新聞社 1900円+税
新刊紹介。
大手出版社重役・菊池三喜男、53歳の時、末期の膵臓がんと宣告される。妻(医師)とは離婚していた。双子の娘たちは独立して海外生活。財産も譲った。交際していた女性は去った。休職し、実家の家族にも知らせず、神戸に向かう。
治療はしない。20年以上前、雑誌編集者時代に電話で話をしただけの不思議な力をもつ女性やよいを探す。女性は、テレビで作家の動物たちが病気と知り“治れ”の念を送ったので結果を知りたい、連絡先を教えろ、と言ってきた。どれほどの力か? 身体を美容整形のようにきれいにできる、体調不良や傷を治す、電話で相手の頭痛を取るなど。菊池も話をしているうちに捻挫の腫れと痛みが消えた。その時のわずかな手がかりで女性を探す。
SFと読めばいいのか? オカルトか?
菊池は死について考える。自然災害、戦争、自殺、病、理不尽な死がある。
こうして一年後に死ぬと宣告された身となってみると、「人間は生きてさえいればいい。たったそれだけがすべてだ」と骨身にしみて痛感する。
震災でも原発事故でも、人は生きているだけできっと充分だ、口惜しさはあるだろうが、命はまるごと自分自身のものだ、命さえあれば、と思う。
身体の中のがん細胞のことも考える。自分の細胞であって自分の細胞ではない「悪性新生物」。自分が創造した細胞。“私自身が作り出した、私とは似ても似つかぬこの新生物”、もう一人の自分がいる、それを発見し上手に和解しよう、問題の根源は内部にある……。
神戸で暮らして、知り合う人から人につながり、目的のやよいに辿りつく。そこから過去に縁のあった親密な人にもつながる。
離婚したことがストレスの元凶だと思っていた。妻が大きな秘密を抱えていたのだが、その秘密である少女の死、少女の出自、妻と自分が出会ったこと……、また人間関係がつながってくる。やよいの不思議な力と生活習慣の改善でがんの成長が治まる。
どう理解しよう? 自然治癒力を高める、神の力を信じる……?
神戸と東北という被災地が重要な舞台。白石は、震災と原発事故からの心の復興を言おうとしているのではないか。それを痛切に願っている。人間同士のつながりによって、その力で再生できる、と。
菊池はまたまた人間関係で石巻に導かれて、別れた妻と再会を果たす。そして、ここで住民参加の情報雑誌を作る。古巣の出版社の支援もある。愛読している医師の本で、「究極の死」について考えてきた。病気の回復だけを目標にせず、怖がらず平和に生き、死を迎える。
結局、私たちは私たち一人では決して生きられないのだ。私たちには末期がんを治す力などないし、心の奥底ではそのような力を欲してもいない。
ただ、私たちは限られた人生の中で、ひたすら安らかに平和に生きつづけたい。そして、そのために最も必要なものは、社会や人々と深くつながり、私個人ではなく私たち全体としてよりよく生きることではないか。……
そうして一人で死んで行くこと。
(平野)
白石は昨年の『快挙』(新潮社)でも神戸の震災を書き、須磨寺付近や元町(海文堂も登場)の風景を描いた。本書でも三宮を中心に中央区、東灘区が出てくる。主人公は我が家の近所を歩いている。
5.15(木) 新聞記者さんがうちの地下スペースに興味をもたれて取材。新聞に載せるネタじゃあないと思う。続いて、「くとうてん」で“海文堂生誕まつり 99+1”取材。計3時間ほど。
帰りに「うみねこ堂書林」、ずっと探していた石川達三『蒼氓』(新潮文庫)発見。
「うみねこ」さん、どんどん本が増えています。まだ値付けをしていないハヤカワミステリ、岩波文庫、“陳舜臣”大量に。