■ 『草のつるぎ 野呂邦暢小説集成3』 文遊社 3000円+税
表題作(第70回芥川賞)他、初めて単行本に入る『水辺の町』など全12篇。
エッセイ 「乾いた井戸の底から」 堀江敏幸
解説 中野章子
書容設計 羽良多平吉
「草のつるぎ」は『文學界』1973年(昭和48)12月号初出。野呂の自衛隊体験を描いた作品。芥川賞受賞時、選考委員は好意的な評価。しかし、“自衛隊の是非”を論じていないという批判があった。野呂は卒直に答えた。自分の意図は、不況のさなか、自衛隊に身を投じた九州各県の青年群像を特殊な背景で描写すること、自衛隊の組織と権力の合法性を論じるつもりはなかったこと。
「表現したかったのは青草の上で汗まみれた青年たちの肉体です」(「いま何を書くべきか」読売新聞74年6月1日)
高校卒業後、東京で働き、19歳で入隊した。昭和30年代初め、「なべ底景気」と言われる不況。父親は事業に失敗し大病。弟妹が4人。野呂が働かねばならなかった。上京しても、特別な技能のない若者にロクな仕事はなく、様々な職業に就いた。ガソリンスタンドの所長は、「やめたければやめちまえ、代りはいくらでもいるんだからな」が口ぐせ。従業員は人間として扱われなかった。自衛隊の訓練はきびしいが、「初めて一人前の人格を持った人間として扱われている自分を発見した」。(「草のつるぎ」長崎新聞74年1月18日)
隊員たちは皆20歳前後、漁師、農民、炭鉱夫、勤め先がつぶれた会社員たち。
陸上自衛隊での2ヵ月にわたる教育訓練生活。海東は初めての外出日に、街でナイフと岩塩を買う。隊の食事が食べられない。戦争直後の食糧難を体験していても飲み込むことができない。3週間、水とジュースだけ。「塩がほしい」と思う。食塩ではダメ。
それは生臭い甘さしか舌に伝えなかった。ぼくの探しているのは強烈な苦さだ。ぼくの細胞を活気づけ神経を昂進させる刺戟を含んだ苦さだ。(略)何としても夏を乗り切らなければ。……
岩塩を削り水筒に入れる。
……塩の味とほど遠く、濃い酸に似た苦味がぼくの舌をしびれさせた。この苦さこそぼくの求めていたものだ。「これで良か」とつぶやいた。
草原での戦闘訓練。草で偽装網を作って装着する。
……「集合は十分後だ」と班長がいった。「それまでに偽装を終えとくように」。ぼくはきのう街で買ったナイフを取り出した。刃を開いて草にあてがった。力を入れて切りにかかった。偽装網に結びつける草がいる。上半身を覆い隠すほどの草。銃剣は刃がついていないから役に立たない。手でちぎろうにも夏草は硬い。短時間のうちに偽装網一人分の草を刈るのは素手では厄介なのだった。
農村出身の男たちは違った。彼らの手は鎌だ。草をつかむより早く根元からちぎりとっている。ぼくがナイフを使うのを見て変な顔をする。手は草の汁でねばついた。……
ナイフは2.3本なら切れるが、束ねて切るのは無理。結局素手。一心不乱に草を取り、草のマントを作った。訓練開始。
いつのまにかぼくは最前列になっていた。前の連中は号笛に促され小銃を手に次々と草にのみこまれて行く。しばらくは上半身が草をかきわけるのが見えている。緑色の短剣を逆に植えつけたような草むらが彼らを迎え入れやがて包み隠す。やがて彼らは陽炎のゆらめきと一つになる。……
草の中を這い進む。目の高さに草の切っ先がある。草が作業着の上から皮膚を刺す、研ぎたての刃のような葉っぱが顔、目に刺さる。むき出しの腕は切れる。
1回目が終り小休止。水筒の水を喉に流し込む。
「塩の苦さに泪が出そうになる」
仲間のひとりが海東の水筒から飲んだ。
「おさんな塩水ば飲むとか」……
訓練、事故になりかねない失敗、隊員たちの私生活、郷里の大水害……。最後の演習時、泥まみれの体を水たまりで裸になって洗う開放感。卒業祝い、菓子を食っての宴会。それぞれの配属地に旅立って行く。
野呂は、75年から戦争文学論『失われた兵士たち』を雑誌に連載する。
(平野)