■ 足立巻一 『石の星座』 編集工房ノア 1800円+税 1983年4月刊
カバー装画 須田剋太
古本屋さんではなく、新刊本屋さんで購入した本。
足立巻一(1913~85)、教師、新聞記者を経て作家・詩人。本書執筆当時は神戸女子大学教授。
本書は、自然石、遺跡、石仏、石塔、石像、墓石、石の地名など、石をたずねる紀行文であり、石に寄せる「雑歌」。
目次
Ⅰ 母岩と破片 石鏡 俳諧者たちの墓 富岡鉄斎碑林 村上華岳自筆墓誌 佐伯祐三と宗教性 小出楢重の末期 ……
Ⅱ 磐座めぐり 風土記の大石 播磨の古法華山 大和生駒谷 渡来石工の行方 若冲の五百羅漢
あとがきより
足立が石に興味を持つようになったのは新聞記者退職後の昭和31年(1956)頃。10年余り勤めた夕刊新聞をクビ同様に辞めさせられた。その後、雑誌の仕事で全国を歩き、テレビ番組の構成にたずさわり旅の仕事がふえた。
……いつしか石がとりわけ印象に残るのに気づき……
仕事と関係なく見て歩き、持ち帰るようになる。特に明日香村の遺跡に魅せられた。昔から関心のあった江戸の国学者の調査で墓を訪ね、思わぬ墓にめぐりあい、ますます墓めぐりをするようになる。ついには『石をたずねる旅』と題した詩集を出す。
すると、ずいぶんからかわれた。石が好きになったのは老いぼれたしるしだという。しかし、そんな嘲笑にもかかわらず、わたしの石めぐりは衰えることなくいまに至り、石こそ根源の象徴だと思っている。……
母岩と破片より
赤い石ころがある。志摩半島の平家の落人伝説の集落で拾ったもの。「竈」の字がつく集落が点在する。塩竈の「竈」。落ちのびてきたが、漁業権はなく、山を開墾して塩を焼いた。塩竈の跡を総氏神の八幡神社神主が案内してくれた。母岩と破片より
「焼けて、塩のにがりがしみこむと、こんな色になるんです」
神主さんがいった。わたしはその手ごろなひとつを拾いあげた。そういわれてみれば、その赤茶けた色は、自然のそれではない。石はわたしの手のひらの上で、海辺に生まれ育ちながら、魚を獲ることも許されなかった人たちの、悲しみのかたまりのように見えた。わたしはこの石を撮影し、詩集の箱に刷りこんだ。いま、わたしの本棚にその赤茶けた石ころは、あのときのままの色と重さで、ちょこんとのっている。
下北半島の「礫」=石器人の狩猟道具、吉野川の祠の石、いろいろな石ころを並べた展覧会までしている。
石の持つ「人間の原初の心」に惹かれる。「古代人が見た神」「呪術」の名残り、「石つぶて」や「赤茶けた石」が宿す先祖の生活など、「原初の悲哀」を感じ取る。
(平野)