2014年5月7日水曜日

石の星座


 足立巻一 『石の星座』 編集工房ノア 1800円+税 19834月刊

カバー装画 須田剋太

 古本屋さんではなく、新刊本屋さんで購入した本。

 足立巻一(191385)、教師、新聞記者を経て作家・詩人。本書執筆当時は神戸女子大学教授。
 本書は、自然石、遺跡、石仏、石塔、石像、墓石、石の地名など、石をたずねる紀行文であり、石に寄せる「雑歌(ぞうか)」。

目次

 母岩と破片  (いじ)()  俳諧者たちの墓  富岡鉄斎碑林  村上華岳自筆墓誌  佐伯祐三と宗教性  小出楢重の末期 ……

 磐座(いわくら)めぐり  風土記の大石  播磨の古法華山  大和生駒谷  渡来石工の  若冲の五百羅漢

 


 あとがきより

 足立が石に興味を持つようになったのは新聞記者退職後の昭和31年(1956)頃。10年余り勤めた夕刊新聞をクビ同様に辞めさせられた。その後、雑誌の仕事で全国を歩き、テレビ番組の構成にたずさわり旅の仕事がふえた。

……いつしか石がとりわけ印象に残るのに気づき……

仕事と関係なく見て歩き、持ち帰るようになる。特に明日香村の遺跡に魅せられた。昔から関心のあった江戸の国学者の調査で墓を訪ね、思わぬ墓にめぐりあい、ますます墓めぐりをするようになる。ついには『石をたずねる旅』と題した詩集を出す。

すると、ずいぶんからかわれた。石が好きになったのは老いぼれたしるしだという。しかし、そんな嘲笑にもかかわらず、わたしの石めぐりは衰えることなくいまに至り、石こそ根源の象徴だと思っている。……

母岩と破片より
 赤い石ころがある。志摩半島の平家の落人伝説の集落で拾ったもの。「竈」の字がつく集落が点在する。塩竈の「竈」。落ちのびてきたが、漁業権はなく、山を開墾して塩を焼いた。塩竈の跡を総氏神の八幡神社神主が案内してくれた。

「焼けて、塩のにがりがしみこむと、こんな色になるんです」
 神主さんがいった。わたしはその手ごろなひとつを拾いあげた。そういわれてみれば、その赤茶けた色は、自然のそれではない。石はわたしの手のひらの上で、海辺に生まれ育ちながら、魚を獲ることも許されなかった人たちの、悲しみのかたまりのように見えた。わたしはこの石を撮影し、詩集の箱に刷りこんだ。いま、わたしの本棚にその赤茶けた石ころは、あのときのままの色と重さで、ちょこんとのっている。

下北半島の「礫」=石器人の狩猟道具、吉野川の祠の石、いろいろな石ころを並べた展覧会までしている。
 石の持つ「人間の原初の心」に惹かれる。「古代人が見た神」「呪術」の名残り、「石つぶて」や「赤茶けた石」が宿す先祖の生活など、「原初の悲哀」を感じ取る。

(平野)