地下から出てきた本。
■ 安藤元雄 『現代詩を読む 1976~1979』 小沢書店 1979年(昭和54)11月刊
装画 高柳裕
安藤は1934年東京生まれ、通信社を経て詩人、フランス文学者、明治大学名誉教授。80年高見順賞、99年萩原朔太郎賞。本書は、東京新聞で3年担当した「詩の月評」を出版。
この「月評」から当時の詩出版を見ると、黒田三郎、石原吉郎の全詩集(黒田増補版、昭森社。石原、花神社)がまとまり、『鮎川信夫著作集』(全10巻、思潮社)が完結、『安東次男著作集』(青土社)刊行中、『大岡信著作集』(青土社)刊行開始。
……戦後期に活動した詩人たちの仕事も、ようやくひとりひとりの詩人ごとに、総合的にまとめられて振り返られようとしている……
他にも、『日本現代詩大系』(全13巻、河出)が完結し、『金子光晴全集』(中公)、『校本宮澤賢治全集』(筑摩)が完結間近。そういう時期。
目次
「詩人」と「作品」 現代の悲歌 戦後詩の位置づけ 詩を読む喜び 「詩の初心」をめぐって やさしさの系譜 詩歌のひろがり 言葉の自由 ……
詩人が現代詩の病弊を「ワカラナサ、オモシロクナサ、ナガッタラシサ」と指摘し、中高生の投稿や生活者の作品に「詩の初心」を聞き取ると言う。
別の詩人は、売れっ子作詞家の言葉――現代詩は「作者自身の愚痴にしかすぎなく、いささかの魅力も感じられぬ」――を紹介して、現代詩人側の「怠惰」を批判して言う。「現実から出発したはずの詩が、いつのまにか、現実のどのような根拠ともあいわたることなく、詩として自足してしまっているのではないか」
安藤は「初心」に立ち返るためにはどうすればいいのか、問う。
……言葉をいかにして現実の名にふさわしいものにまで高め、自立させ得るかに詩人の作業はかかっている。とすれば、詩人に要求される「初心」とは言葉への初心であり、言葉のもつあらゆる機能とあらゆる力への、謙虚な、しかも貪婪な追求であろう。……
そうして、ある詩人の文章を引用する。
「詩人を最も必要とする時代は、詩人などいなくなっても済ませると思う時代なのだ」とジャン・パウルは予告していたが、いまの時代こそ、そうした絶好のチャンスなのだと思いながら、いつもと変わらず、くつろいだ気分になっている。 (加藤郁乎)
「初心」を常に見失わない詩、辻征夫の詩を紹介。
「棒論」
道に木の棒が 落ちていたので胸が痛んだ木の棒が もし 窓とか 箪笥とかの製造過程で
(きみとはおわかれ!)
不要部分として 捨てられたものだとすれば
棒にも 棒の 過去があり
…………
棒を忘れて存在する 窓と箪笥が
どこかに 存在するわけだと思ったからだ
「詩の月評」は現在も継続、担当は文月悠光。
(平野)