■ 内田樹 『憲法の「空語」を充たすために』 かもがわ出版 900円+税
2014年5月3日、兵庫県憲法会議主催集会での講演。
なぜ、政治家や官僚は日本国憲法をないがしろにするのか? 民主主義を否定するのか? 一部マスメディアまでその行動・思想に賛意を示すのか?
日本の民主主義、憲法はそれほど脆いものなのか?護憲の立場から「日本の民主制と憲法の本質的脆弱性について深く考える」。
1 「日本国民」とは何か
神戸憲法集会について
公務員には憲法尊重擁護義務がある 敗戦国の中での日本の特異性
日本国憲法の持っていた本質的な脆弱性
憲法九条にはノーベル平和賞の資格十分
憲法の守護はそれにふさわしい重みを獲得していない
2 法治国家から人治国家へ
法治から人治への変質
株式会社的マインドが日本人の基本マインドに
メディアが方向づけした「ねじれ国会」の愚論
国家の統治者が株式会社の論理で政治を行うことのいかがわしさ
「日本のシンガポール化」趨勢
3 グローバル化と国民国家の解体過程
自民党改憲草案二二条が意味すること
グローバル資本主義にとって障害になった国民国家「日本の企業」だと名乗るグローバル企業の言い分
この講演会の後援を神戸市と教育委員会は拒否した。「政治的私見」であり「政治的中立性」は認めがたい、という理由。
公務員には憲法尊重擁護義務があるのではなかったか。
内田は敗戦、日本国憲法成立過程に遡って「日本国憲法の脆弱性」について考える。
日本国憲法には、
憲法を引き受ける生身の主体が存在しない。
憲法成立時に制定主体である「日本国民」という実体が存在しなかった、と言う。
日本の敗戦は歴史的惨敗。海外の占領地だけでなく、沖縄、本土主要都市空襲、広島・長崎……、国民が死に、国土が焦土と化した。指導者は敗戦に備えた“再建”を考えていなかった。このへんでやめて有利な交渉とか、ここまでいったら降参しようとか。また、指導部に反対していた人・グループ=敗戦後に戦前より比較的まともな政体となるであろう、そういう人もいなかった。他の敗戦国にはいた。だから、日本は最終的に「一億総懺悔」した。
大日本帝国の臣民の名において戦争責任を引き受け、戦争責任を追及することのできる日本人がいなかった。(略)負けたときの国家再建の基盤となる主体を持たないような仕方で戦争を始め、戦争に負けた。僕が憲法には「主語がない」というのは、そのような状況を言っているのです。
日本国憲法の本質的脆弱性というのは、そこに書かれた言葉や概念が、大日本帝国の瓦礫と残骸の中から最後に残った「良きもの」だけを拾い集め、それを煉瓦を積むように積み上げて、戦後日本のあるべきかたちや進むべき方向を自分たちの手持ちの言葉で語ったものではないということです。
素晴らしい憲法だが、答案を書いたのは受験生自身ではない、とたとえている。
「国民国家の株式会社化」を進める政権、「グローバル企業」の非論理的な要求、「ナショナリスト」が最優先に語る「金の話」などから守るべきものがある。
豊かな自然、治安、水、食べ物、伝統文化……、彼らが言う「金」には代えられないものがある。
僕たちにとりあえずできることは、彼らの破壊の手から「それだけには手を触れさせてはならないもの」を守り抜くことです。そのために全力を尽すこと、それが僕たちの当面の任務であろうと思います。
憲法もその一つ。(平野)