■ 陳舜臣他 『神戸ミステリー傑作選』
河出文庫 1986年(昭和61)4月刊
高木彬光 黒い波紋
千代有三 痴人の宴森詠 真夜中の東側
三枝和子 街に消えた顔(梅雨のトアロード 秋風メリケン波止場)
島尾敏雄 石像歩き出す
眉村卓 須磨の女
陳舜臣 幻の不動明王
解説 関口苑生
カバー装幀 巖谷純介
「ミステリーの似合うまち」 陳舜臣
神戸はミステリーの似合うまちである。そもそも日本のミステリーは神戸からはじまったのではないかとおもう。外国の商船は船内図書室の本が古くなれば、神戸で古本屋に払い下げることが多かった。船内図書室は旅行のつれづれに読む肩のこらない本をそろえ、おそらくミステリーが主な柱であったのだろう。(略、船上では海や気象の状況のなかで、寄港地ではそのまちの雰囲気を背景にして、客・船員は頁を繰ったことだろう)
イギリスやアメリカなど、ミステリーが生産されるところでは、古本は安くしか売れない。需要供給の原則で、それが量的にすくなく、待望されている土地では良い値がつく。かなりの規模の居留地があり、英語国民が多く住んでいた神戸では、在留外国人を相手にする古本屋もあった。本の払い下げ地にえらばれたのはとうぜんであろう。若き日の横溝正史は、神戸に住んでいて、探偵小説好きの仲間と、よくそんな古本屋で英語のミステリーを漁った。仲間の一人に、横溝の友人の兄西田政治などもいたのである。
ちょうどそのころ、雑誌『新青年』が刊行されていた。そこには海外のミステリーよく紹介され、また懸賞小説を募集していた。横溝や西田は投稿の常連だったのである。創作もあれば翻訳もあった。やがて『新青年』を介して、彼らは江戸川乱歩とも知り合い、日本のミステリー界の開拓者となった。横溝は作家となり、神戸の大地主である西田は、悠々と翻訳をたのしみ、ディクスン・カーなどの紹介者となった。
(略、払い下げ本に関心を持つ人材もたまたま揃っていた。また近代都市・神戸のムードもミステリーにふさわしかった。開港当時、人口2万人だったが、明治10年西南の役の兵站基地となって10万人)十年で人口は五倍となり、全市の八割はよそ者であった。これは出自不詳の人間がふえたことであり、一種のミステリーにほかならない。隣人が何者かわからない状態は、ミステリーの端緒である。(略、国内だけでなく、外国からも人が来る。神戸に流れついた理由は? 金銭、女性、家族?)なにやら影をもつ男女が徘徊するまち。――さらに山も海も近いという地理的条件が神戸をいっそうミステリーにふさわしいまちに仕立てあげた。そこには、ミステリーの重要な要素であるモダニズムもあり、近代合理主義も育っていた。……
(平野)
おじさんは満足に本を買えぬ。よって、均一棚の古本や手持ちの本で「神戸本」を紹介しています。次回も本書から。