■ 春木一夫 『灘五郷歴史散歩 日本酒のふるさと』 創元社 1973年(昭和48)11月刊 表紙 加藤義明
春木は1918年生まれ、作家、元警察官。『神戸歴史散策』(保育社カラーブックス)、『兵庫史の謎』(神戸新聞出版センター)など。
目次
灘酒の発展 灘五郷とは 酒の起源 古代の酒造り 灘酒の発展 宮水の発見 ……
美味い灘酒のできるまで 丹波杜氏 出稼ぎへの道 蔵人の組織と待遇 洗米 こうじづくり 酒造り歌 ……灘一人歩き 悲恋・処女塚 悠久二千年前・会下山弥生式遺跡 西宮神社 閑麗な文学者・在原業平 大楠公戦跡 百姓が死にます ……
あとがき
現代の灘五郷は簡単にいうと、東は武庫川から西は生田川にいたる六甲山の南、海にそうた約二十四キロの総称である。神戸市生田区の神戸、二ツ茶屋、走水村など、現在の三宮、元町通という繁華街は、下灘郷といわれていたが、明治十九年以降は灘五郷の中には含まれなくなった。従って現在の灘五郷はいまの行政区域でいうと、西宮市、神戸市の東灘区、灘区となる。ただし、この本では徳川末期までのことが多いので、灘五郷というのは、西宮を除き、下灘郷を含んでいると解釈して貰った方がよい。……
「灘」の酒が江戸で知られるのは元禄時代(1690年代後半)のことらしい。
徳川時代の灘五郷は、西宮を除いた今津郷、東郷、中郷、西郷、下灘郷。
……西宮はこれらの灘五郷よりも、ずっと早くから造酒地として発達していたので別格。摂泉十二郷の一つとして、池田や伊丹のように独立している。西宮が下灘郷に代って、灘五郷の中に入ってくるのは幕藩体制が崩壊し、摂泉十二郷が解体していく過程においてであろうと思われる。芦屋地方が入っていないのは、酒造家がなかったからである。……
芦屋には酒蔵もないが、水車はあった。
六甲からの急流を利用して、阪神間の川には水車小屋が設けられた。石臼は六甲の御影石。菜種を絞り、米つきに利用。宮水とともに六甲の恵みの賜物。米は摂津と播州の優良米。そして、「研究熱心で卓越した経営手腕を持つ酒屋の主人」。
これらを生かすも殺すも、それは蔵人の腕次第である。灘発展の裏には、それに呼応する一群の優秀な技術者たちがあった。その中でも、もっとも灘酒の発展に功労があったのは、丹波の出身者で、世上これを、丹波杜氏と呼ぶ。
丹波は古くから酒どころだった。
(平野)「下灘郷」は知らなかった。
◇ よそさまのイベント 9月26日東京でこんなんあります。http://sorainutsushin.blog60.fc2.com/blog-entry-2301.html
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