2014年8月8日金曜日

灘五郷歴史散歩


 春木一夫 『灘五郷歴史散歩 日本酒のふるさと』 創元社 1973年(昭和4811月刊  表紙 加藤義明

 春木は1918年生まれ、作家、元警察官。『神戸歴史散策』(保育社カラーブックス)、『兵庫史の謎』(神戸新聞出版センター)など。

目次

灘酒の発展  灘五郷とは 酒の起源 古代の酒造り 灘酒の発展 宮水の発見 ……
美味い灘酒のできるまで  丹波杜氏 出稼ぎへの道 蔵人の組織と待遇 洗米 こうじづくり 酒造り歌 ……
灘一人歩き  悲恋・処女塚 悠久二千年前・会下山弥生式遺跡 西宮神社 閑麗な文学者・在原業平 大楠公戦跡 百姓が死にます ……
あとがき

 現代の灘五郷は簡単にいうと、東は武庫川から西は生田川にいたる六甲山の南、海にそうた約二十四キロの総称である。神戸市生田区の神戸(かんべ)茶屋(はし)(うど)など、現在の三宮、元町通という繁華街は、(しも)といわれていたが、明治十九以降中には含まれなくなった。従って現在のはいまの行政区域でいうと、西宮市、神戸市東灘区、灘区となる。ただし、この本では徳川末期までのことが多いので、というのは、西宮除き、含んでいると解釈して貰った方がよい。……

「灘」の酒が江戸で知られるのは元禄時代(1690年代後半)のことらしい。
 徳川時代の灘五郷は、西宮を除いた今津郷、東郷、中郷、西郷、下灘郷。

……西宮はこれらの灘五郷よりも、ずっと早くから造酒地として発達していたので別格。摂泉十二郷の一つとして、池田や伊丹のように独立している。西宮が下灘郷に代って、灘五郷の中に入ってくるのは幕藩体制が崩壊し、摂泉十二郷が解体していく過程においてであろうと思われる。芦屋地方が入っていないのは、酒造家がなかったからである。……

 芦屋には酒蔵もないが、水車はあった。
 六甲からの急流を利用して、阪神間の川には水車小屋が設けられた。石臼は六甲の御影石。菜種を絞り、米つきに利用。宮水とともに六甲の恵みの賜物。米は摂津と播州の優良米。そして、「研究熱心で卓越した経営手腕を持つ酒屋の主人」。
 これらを生かすも殺すも、それは蔵人(くらびと)腕次第である。発展裏には、それに呼応する優秀技術者たちがあった。その中でも、もっとも灘酒発展にがあったのは、丹波の出身者で、世上これを、丹波杜氏呼ぶ

 丹波は古くから酒どころだった。

(平野)「下灘郷」は知らなかった。

◇ よそさまのイベント 9月26日東京でこんなんあります。http://sorainutsushin.blog60.fc2.com/blog-entry-2301.html