2014年8月30日土曜日

六甲山心中


 陳舜臣 『六甲山心中』 中公文庫 1977年(昭和522月刊(手持ちは8464版) 単行本71年中央公論社刊。

 表題作他全6篇ミステリー集、すべて舞台は神戸。

「六甲山心中」

 死に場所を探して秋の六甲山中を徘徊する男女。航太郎23歳、牧子20歳。若い二人が死を決意するまでの理由はよくわからない。航太郎は、両親を幼くして亡くした、身体が丈夫ではない、孤児に対して世間のは冷たい、何をやってもうまく行かない……。牧子も孤独、父は死に、母は再婚。「死ぬこと」は二人で何度も話し合った。
 昭和40年代、六甲山は自殺の名所だったらしい。年間50人以上が自殺。この時代、神戸市は埋め立て事業の真っ最中。ポートアイランドという人工島も造った。あちこちの山を削って土砂を採取し、採取地は宅地造成。「海、山へ行く」と言われた神戸の開発行政の象徴だった。
 六甲につながる渦森山もその一つ。二人は一晩歩いて、いつの間にか、その渦森山に来ていた。土砂採取の現場のあたり。まだ夜が明けていないが、作業の準備をしているらしい人影が二つ見える。

「やはり、あたし町の見えるところがいいわ。おなじ死ぬなら、町に近いところで。……でも、こんなむき出しの土のところはいやよ。砂漠みたい」
 彼女は立ちどまって言った。
「しばらく、ここで休むことにしよう。どうやら住吉川に出てしまいそうだな」
 と、航太郎は言った。神戸の工場で働いたことのある彼は、土地カンがあった。
「川もいいわね」
「白鶴美術館が下にあるけど……
「美術館のあるような場所なら、きっとわるくないと思うわ」
(略、航太郎は、自分一人ならどんな死に方でもよかった。牧子はロマンティックなムードがほしかった)彼女が死ぬ気になったのは、航太郎への愛と同情がいりまじっているが、その心理も少女的センチメンタリズムの所産といっていいかもしれない。扱いにくいものなのだ。

 航太郎は彼女を残して適当な場所を探しに行く。彼女は死の床とする赤いビニールシートを敷いて待っている。
 彼女を置いてけぼりにすれば彼女は死なずにすむ、自分だけ死のう、でも薬は彼女が持っている。首をつろう、紐はない、ベルトがある、ズボンを脱ぐのはためらいがある……、考えているうちに胸の底から哄笑が噴きあがってくる。
 彼女の悲鳴が聞える。男が彼女を羽交い絞めにしているのが見えた。一旦は彼女を助けて逃げるが、二人組に捕まる。生き埋めにされるらしい。奴らが穴を掘っている。
 航太郎はこれまでの不運を牧子に話し出す。

「ほんとに運がわるいのね」
「これから何十年生きたって、おんなじことだ。幸運はぼくのまえを素通りするだけさ。……まさか死ぬまぎわまでツイてないなんて、ゆめにもおもわなかったね。きみまでひきこんだのは、たまらない気もちだな。……
(二人は穴に突き落とされる。土砂がかぶされる)
「あたし、死にたくない!」
 彼女は思いきり大声で叫んだのである。
「ぼくもだ!」
 航太郎もどなり返した。……

 二人の命は助かるのか?

 解説は足立巻一
 推理小説として、手のこんだ殺人事件や格別複雑なトリックが仕掛けてあるわけでもない。名探偵も出てこない。陰惨さ、残酷さもない。話には主人公の思いちがいだったという設定が多く、そこから運命は主人公が考えもしなかった方向へ逆転する。(略)
 作者が好んでそういう設定を用いるというのも、そこに人生の機微があると考えているからであろう。真実と信じきっていることも裏から見れば一片の虚偽であり、その逆に、虚偽とされるものもわずかに視点を変えれば真実であり得る。その変化に応じて、人間の運命も万化する。その裏返しにつぐ裏返しが作者の作劇術である。

(平野)