■ 図録『日本SF展 SFの国』 編集・発行 日本SF大学校出版部 世田谷文学館 1500円(税込) カバーは『海野十三全集』(東光出版社 1950~51年)の表紙より。
「多元宇宙のように」 筒井康隆
あらゆるジャンルに浸透と拡散を行い、今やジャンルではなくなったSFが、その過程と歴史を振り返る機会としてここに名誉ある展覧会を、他でもない全国的な、そして文学的な信望を得ている世田谷文学館に於いて開催していただけることは、第一世代の生き残りの一人としての私の、まるで今やっとSFが文学史に組み込まれたかのようにも感じられる、大きな喜びです。(略)
「飛躍的な思考とは」 星新一(「錬金術師とSF作家」角川文庫『きまぐれ星のメモ』所収)
(飛躍的な思考、創造力開発について本が出ていて、想像力は簡単に出てくるかのように書いてある)私はSFを書くため、死ぬ思いで四苦八苦し、そのアイデアを得ているのだが、そんな自分がばかに思えてきてしまうのである。そうは認めたくないため、著者の説に反抗してみる。想像力とは、条件とか統計とか教育法とかの枠外にあるものではないか、と。(略)
飛躍とは解明できない衝動かもしれない。新説を得たい、そのためには他のことはどうでもいい、そこに喜びを見出すことである。錬金術師以来、いやもっと古代から、人類の心の底を流れつづけ、安全地帯でふきあげつづけているものである。それがあとでどう現実に活用されるか、あるいは笑いものになるかは別問題だ。(略)
小松左京『SF魂』(新潮新書)より
SFとは思考実験である。SFとはホラ話である。SFとは文明論である。SFとは哲学である。SFとは歴史である。SFとは落語である。SFとは歌舞伎である。SFとは音楽である。SFとは怪談である。SFとは地図である。SFとはフィールドノートである……。いや、この歳になった今なら、やはりこう言っておこう。
SFとは文学の中の文学である。
そして、
SFとは希望である――と。
付録に大伴昌司の「サンダーバード隊のひみつ基地」図解(え・水気隆義)。『少年キング』1967年11月5日号より。
大の大人が、〈ひみつ基地〉の装備――それも外国の人形劇――を一生懸命考えている。宇宙飛行、怪獣、ウルトラマン……、子どもたちがワクワクしながら読んでいた。
■ 『ほんまに』第16号 くとうてん 476円+税 つづき
○町本会ができるまで(第1回)『本屋図鑑』と海文堂書店 空犬太郎
夏葉社『本屋図鑑』編者の一人。関係者にとって、紹介したばかりの本屋が2ヵ月で閉店してしまったのは、大きなショックでした。ある店主が空犬に「本屋を助けてください」と訴えた。何かできることはないか?
一書店の閉店に終わらせないため、書店員他出版関係者に協力を依頼して、2013年12月「町本会」を立ち上げた。趣意書。
《町から「本屋さん」が消えつつあります。激しい競争、仕入の困難など様々に原因が語られますが、いま私たちに必要なのは町の人々に必要とされる本屋のイメージではないでしょうか。「町本会」という場を通して、何から取り組むべきかを具体的に考えていきたく思います。》
町の本屋について、トークイベントを重ねている。9.26には東京でF店長とゴローちゃんが出席。
○なんで神戸に? 石井伸介
仙台育ち、長年勤めた東京の出版社を辞めて、神戸に越してきた編集者。一人で出版社〈苦楽堂〉を始めた。神戸に来て、いいことも悪いこともある。ゴミ袋が貧弱、若者の東京志向にも文句を言いたい。
しかしですな、そういうことも含めて「その街で暮らす」ってことだと思うわけです。文句を言い続けていればゴミ袋もいつか頑丈になるかもしれないし、ここでつくる本を見た若い人に「あ、神戸でも全国相手にこういう面白い仕事ができるんだ」と思ってもらえるかもしれない。ということで、神戸から全国相手に面白い本をつくっていきたいと思っているわけです。