■ 林芙美子 『放浪記』 新潮文庫 1947年(昭和22)9月刊(手持ちは64年8月51刷) カバーは著者自筆色紙より
1928年10月『女人芸術』に「秋が来たんだ――放浪記――」を発表。30年7月改造社から出版、11月「続放浪記」刊。
林芙美子(1903~1951)。行商の母・義父と各地を放浪。自身もさまざまな職業を経験。
本書執筆時、芙美子は25歳。生い立ちからのことを綴った自伝小説。貧困、父母への愛、恋愛遍歴、女給仲間のことなどが語られる。平林たい子、辻潤ら関わりのあった作家たちを実名で書いている。関東大震災のことも少し。芙美子は貧しさで日々の生活に追われているが、詩や小説を書き、本を読み続けている。
(冒頭で)
私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。……私は美しい山河も知らないで、養父と母に連れられて、九州一円を転々と行商をしてまわっていたのである。……
(終盤で)
私は生きる事が苦しくなると、故郷というものを考える。死ぬる時は古里で死にたいものだとよく人がこんなことも云うけれども、そんな事を聞くと、私はまた故郷と云うものをしみじみと考えてみるのだ。毎年、春秋になると、巡査がやって来て原籍をしらべて行くけれど、私は故郷というものをそのたびに考えさせられている。「貴女のお国は、いったいどこが本当なのですか?」と、人に訊かれると、私はぐっと詰ってしまうのだ。私には本当は、古里なんてどこでもいいのだと思う。苦しみや楽しみの中にそだっていったところが、古里なのですもの。だから、この「放浪記」も、旅の古里をなつがしがっているところが非常に多い。……
一緒にいる男、別の女からの手紙の束を隠していた。カフェーで働いて稼いでやっているのに。
……お葬式のような悲しさで、何度も不幸な目に逢って乗る東海道線に乗った。
明石行き三等列車、神戸で降りてみようと思って、降りた。
暑い陽ざしだった。だが私には、アイスクリームも、氷も買えない。ホームでさっぱりと顔を洗うと、生ぬるい水を腹いっぱい呑んで、黄いろい汚れた鏡に、みずひき草のように淋しい自分の顔を写して見た。さあ矢でも鉄砲でも飛んで来いだ。別に当もない私は、途中下車の切符を大事にしまうと、楠公さんの方へブラブラ歩いて行ってみた。……
15歳くらいの時、この町でトルコ人の楽器屋で奉公した。乳母車に女の子を乗せてメリケン波止場を歩いた。
――鳩が足元近くに寄って来ている。人生鳩に生まれるべし。私は、東京の生活を思い出して涙があふれた。
鳩の豆売りの婆さんと話。海岸通の宿屋に泊まる。
元気を出して、どんな場合にでも、弱ってしまってはならない。小さな店屋で、瓦煎餅を一箱買うと、私は古ぼけた兵庫の船宿で高松行の切符を買った。……
(平野)
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