2014年10月13日月曜日

チャイナタウン ヨコハマ


 陳立人(チェンリーレン)写真・文 
『チャイナタウン ヨコハマ』 徳間文庫 1985年(昭和6010月刊

 1952年神戸市生まれ、写真家、「陳舜臣アジア文藝館」顧問。

目次

思想華人街  海風揚紅巾  明月照牌楼  
黄雀鳴関廟  満天望夏郷  地図

チャイナタウンの歴史、関帝廟、風俗・社会、食、文化、街のあちこちの風景。異国情緒にあふれる街の表から裏までをカメラで捉える。神戸の南京町の思い出も交えて。

華僑社会
 日本にいまの形のような中華街ができたのは徳川時代のはじめです。長崎に唐館十三戸の記録があります。それが日本における最初の華僑社会だと考えられています。その後は明治の初めごろに、横浜や神戸の港まちに中国人がおおぜい上陸しました。(略)

牌楼
……昭和二十五年、敗戦後、ごった返した中華街の大通りを整備し、戦災でなくなった街のシンボル・牌楼を建て直しました。それは大通りの西端にある朱い門です。(パイロウ、街全体の看板。20年後の昭和45年に西門、48年東門、50年北門、52年に南門)
 世界中のチャイナタウンは雑然とした中国の下町なのです。彼らは外国に住んでいますが、牌楼の内側では、中国にいると思っているのです。横浜中華街の牌楼の内側には中国があるのです。

 チャイナタウンが観光地化して人があふれると、それまで支えてくれていた常連さんが行きづらくなる。

中華街
 中華街で一番心配していることは、食事だけの街になってしまうことです。街全体にひそんでいる中国の文化や芸術などの存在感がなくなることです。
 中国五千年の文化をたずさえて一世たちが苦労して築きあげてきた街が、食という、これも中国文化のひとつですが、ただそれだけで終ってしまわないように注意しなければなりません。

(平野)
 立人さんには『ほんまに』第16号の「アジア文藝館」取材でお世話になりました。