2014年10月20日月曜日

金山平三全芝居絵展目録


 『金山平三全芝居絵展目録』 編集・発行 朝日新聞東京本社企画部 1971

「金山平三芝居絵展」(東京会場 新宿小田急百貨店 昭和463月)、「芝居絵寄贈記念 金山平三名作展」(神戸会場 兵庫県立近代美術館 昭和464月)の図録。


 
 金山平三18831964)は神戸元町生まれの洋画家。1970年、遺族が多くの作品を兵庫県に寄贈し、県立近代美術館開館となった。この展覧会も「芝居絵」全193点寄贈の記念。同美術館には「金山平三記念室」が設置されている。

 金山が育ったのは花隈。小学生時代から芝居に親しんだ。楠公前や新開地の芝居小屋に通った。

……そのころ神戸の実家近くの広場によく小屋がけ芝居が立ったらしい。毎日のように見に行っては母親を手こづらせ、時には母親の財布から五銭玉をくすねて学校をエスケープ、みつかってはお目玉をくったこともあったとか、首を縮めて語る先生には忘れられない懐しい思い出なのであろう。芝居は先生の少年時代へのノスタルジアではないだろうか。……(竹間吾勝「幻の舞台」)

 昭和三年ころ、入院手術といふ大病のあと、本格的油彩の大作に手がつけられなかったとき、つれづれに描きはじめたのださうであるが、作品を見た藤島武二の強い勧奨に力を得て、興の赴くままに、最晩年まで描き続けたのであった。

「小学校時代に見たものだが、色の調子と、役者の仕ぐさが、今も頭に残ってゐる。大ていの役者の名前も。その代はり狂言の題が分からず、場面だけしか覚えてゐないのも相当ある」(飛松実「金山平三画伯の人と芝居絵」)

……構図といい、役者のポーズや色彩における歌舞伎のトーンに、いささかの狂いもないのだから、よくもまあ数十年も前の印象を、かく正確に再現し得たものだと驚嘆のはかはない。と同時に、それゆえに、これらの芝居絵を演劇史的にも貴重な文化財とすべきだと痛感する。(大鋸時生「金山芝居絵との出会いと歓び」)

 花隈は花柳街だから、金山も幼少時から邦楽や舞踊に親しんでいただろう。自らも舞い、そのポーズを撮影したアルバムが残っているそう。「大黒座」座主も近所に住んでいた。

 金山については面白い話がまだまだあるので、改めて。

 図録の表紙の絵は「せり上がり」(根元草摺引)

(平野)