■ 荒尾親成 『神戸に来た史上の人々』 中外書房 1965年(昭和40)7月刊
タウン誌『月刊センター』に連載したもの。
著者は当時神戸市立南蛮美術館館長。16歳から刀剣や古文書蒐集、研究で、同好者や趣味人と懇意になった。古い手紙、短冊の筆者を調べて、神戸との関わりを書いた。
目次
神戸昔なつかしの写真集 初代聚楽館 明治二年の生田ノ森 神戸婦人専用電車 江戸時代の生田前 ……神戸に来た史上の人々 蕪村 水戸黄門光圀と助さん 正岡子規 坂本竜馬 吉田松陰 伊藤博文 ……
随筆 べんけいと鼠と蟹 漫才師春秋 蒐集裏話 池長さんと南蛮美術 ……
「べんけいと鼠と蟹」
父は退役将校で貧乏生活、カイゼルひげだけは将校時代のままだった。荒尾少年は神戸脇浜で育つ。明治の末、級友たちも貧しい。
べんけいは勉強ダメだが、歌がうまくて純情でけんかが強い。当時伝染病が流行し、鼠を捕まえて交番に届けると4銭5厘もらえた。学校でも鼠取りを仕掛けた。べんけいの鼠取りには大量に捕まるが、他の子のにはかからない。べんけいがみんなの目を盗んで、全部自分の鼠取りに付け直していたことが判明。お金は全部貯金して修学旅行費用に当てられた。
敏馬神社(みぬめ・みるめ)の境内(海に面していた)に、ひとつ年上のお染ちゃんと3人で蟹取り。蟹を取っても入れ物がない。べんけいの発案でお染ちゃんの着物の袖に入れた。蟹がお染ちゃんのお腹に侵入してきて、ついには体中を這い回る。べんけいは呆然。荒尾はお染ちゃんを海の中に連れて入り、海中で着物を脱がせた。
べんけいは満洲で馬賊になったらしいが、消息不明。
お染ちゃんは花隈の名芸妓に。
この間蟹の話をしたら微苦笑をして、それよりあんたのお父さんのドジョウヒゲを忘れまへんと笑っていた。
(平野)
10.5「神戸新聞」コラム「あ・ん」。私の解釈では「あっはん・んっふん」。H記者の文明批評。ツカミは……、わかる人はわかる「携帯不携帯」。