■ 『アサヒグラフ別冊 ’81夏 美術特集 東山魁夷』朝日新聞社 1981年8月刊
魁夷作品 「残照」他66点(オールカラー)
スケッチ 〈中国の旅〉
東山魁夷の芸術 本間正義
東山さんの人柄 今日出海
旅で深く知った人間性 安達健二
先生の絵に故郷の景色を見た ゲプハルト・ヒールシャー
作品解説 米倉守
東山魁夷は風景画家である。初期の「私の窓」という作品に、静物的なモチーフが見られる以外、百パーセントといっていいほど風景画に終始している。しかも人間の営みを感じさせる家や通りや橋などを描いても、そこには人っ子一人いない風景なのである。生きものといっても、白い馬のいる風景が、一時シリーズ的に描かれた以外は、なにも見つけ出すことが出来ない。これは一体どういうわけであろう。このようにストイックなまでの風景をえがくために、魁夷は自分はこの世の終わる時までつづけてゆく旅人であり、画学生としての遍歴徒弟でありたいと願っている。つまりワンダラーとして自然をえがきぬいてゆく徹底した風景画家なのである。…… (本間正義)
不遇の時代、自然の姿に深い感動を得た。
大作を次々に描いていた61歳の時、ドイツ・オーストリアに写生旅行。若き日の留学時代には来たことがなかった「北方の港市」リューベックを訪れた。トーマス・マンの小説の舞台。青年時代に読み、後年再び読み、深く心を打たれた。風土は全く違うが、育った港町・神戸のイメージと重なった。
郷愁とは、遠く離れた者への再会を希う心であろうか。いや、むしろ、再会を望み得ぬ遠くへ過ぎ去った者に対しての、思慕の情をいうのであろう。
私は神戸で少年時代を過ごした。マン風にいえば、当時、私の心は生きていたのである。
画家になるために、その港市を離れた。それからドイツに来たのも、もう、三十数年の昔である。画家になる以前のこと、いわば、遍歴徒弟の時代である。あの頃も、まだ、私の心は生きていたはずだ。
今では、画家になって、いちおうの仕事のまとまりを見たといえる段階――年齢的の上でもそうであるが――に達した。そして、どうだろう、また、もとの振り出しに帰って来たのではないか。
永久に師匠になんかならない方が幸いだと、私は書いたことがある。大きな壁画の完成と、日本の古都を主題にした連作のあとで、この旅に出たのも、遍歴徒弟であった時の曾遊の地を巡ることによって、老い込もうとする私の心に、温かい鼓動が甦ることを希ってのことであろうか。いや、そういう意志的なものではなく、いつも円周運動を描いて歩かされている私の宿命によるのかもしれない。……(「追想の港」『泉に聴く』講談社文芸文庫所収)
(平野)
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