■ 木畑洋一 『二〇世紀の歴史』 岩波新書 860円+税
1946年岡山県生まれ、成城大学法学部教授、東京大学名誉教授。イギリス帝国史、国際関係史。
序章 「長い二〇世紀」
第1章 支配‐被支配関係の広がり――帝国主義の時代第2章 帝国世界動揺の開始――第一次世界大戦とその後
第3章 帝国世界再編をめぐる攻防――世界恐慌から第二次世界大戦へ
第4章 帝国世界の解体――第二次世界大戦後の時代
終章 「長い二〇世紀」を後に
20世紀の歴史的事件といえば、二つの世界戦争、ロシア革命、大恐慌、冷戦、ソ連崩壊などを思い浮かべる。
本書は20世紀の歴史だが、その起点を1870年代に求める――帝国主義時代の始まり。1876年ベルギー王のアフリカ探検に始まるヨーロッパ諸国によるアフリカ分割、領土争奪戦だ。では終点は?
21世紀とはいえ、アフリカ各地の紛争、パレスティナ、イラクはじめ中東の戦争、大国内の民族独立運動、テロ……、まだ「二〇世紀」の問題を引きずっているのではないか?
本書の立場は、
……帝国主義の時代にできあがった、世界が大きく支配する側と支配される側とに分かれ、支配される側の人々の住む地域が主権を奪われ政治的独立性をもたせないような世界の仕組みは、暦の上での二〇世紀前半位起こった二つの世界大戦によって大きく崩れ、第二次世界大戦後には、それまで支配される位置に置かれていた人々がその位置を脱して自らの国家を作り上げていった。世界の広大な地域の人々が主権を奪われていた時代と、主権行使にさまざまな障害があるとしてもそうした人々が独立した主権国家の構成員となった時代との間の違いは、きわめて大きい。
よって「二〇世紀の終期」を1990年代初めとする。
アフリカ諸国は90年代に“ほぼ”独立国家になり、南アフリカではアパルトヘイト体制が集結した。また、ソ連および東欧社会主義国の崩壊も帝国支配の時代の終わりを示すもの。1870年代から1990年代初頭を「長い二〇世紀」として見て行く。国際関係史では「短い二〇世紀」論がある。第一次世界大戦からソ連崩壊まで、またはロシア革命からソ連崩壊まで、というもの。しかし、これらは「あくまでもヨーロッパ世界を中心とした時代区分」で、本書はヨーロッパ以外の地域――植民地化された地域を視野に入れる。
世界のあちこちに話が行くので、アイルランド、南アフリカ、沖縄の3地域を「定点観測地域」として、各章の最後で時代ごとの変化を見る。いずれも「帝国世界のなかで、支配する側と支配される側の狭間に立った地域=帝国世界の重層性をよく示す地域」。
沖縄を見てみる。
第1章。「琉球処分」で日本が沖縄を編入したのは1879年(アフリカ同様、起点の年代に見事に合致している)。日本最初の植民地ともいえる。なぜなら、本土の人は沖縄の人たちを差別の対象「支配される民」にしていた。一方で沖縄の人たちが「支配する民」として、アイヌや台湾、朝鮮の人たちを「支配される民」としたことも事実。
第2章、日本は戦争に巻きこまれなかった。しかし、総力戦の観点から「徴兵制」について見てみる。1873年徴兵令施行、沖縄では98年になってから。日本による支配への抵抗を考慮した。1910年沖縄で徴兵拒否者が出た。また、戦争で砂糖相場が急騰して沖縄の糖業も活発になったが、長続きせずに戦後不況。その結果、沖縄からの海外移民が増えた。日本全体の1割を占めた。
第3章、不況が回復しないまま世界恐慌。沖縄振興政策がとられたが、戦争が進行すると削減された。戦争で占領した地域に沖縄からの移民者がまた増える。そして、戦争末期、激戦地となり、15万人ともいわれる犠牲者が出た。
第4章、沖縄はアメリカ占領下、帝国の植民地的状態。米軍基地が拡大し、軍事拠点になった。日本復帰後も基地は残された。経済的には振興政策でカネがつぎ込まれたが、県民所得は長く全国最下位だった。
「長い二〇世紀」の終焉も、沖縄においては、大きな変化とは結びつかなかったのである。
著者の見解。
……一九九〇年代初めには世界で五〇以上起こっていた戦争・内戦が、二〇〇五年には三〇以上というレベルに減少したという計算も行われている。一九九〇年代に内戦で荒廃した国、たとえばルワンダは、現在平和な状態の下で繁栄を追求しつつある。
(まだ暴力がある。「テロリズム」対「反テロリズム戦争」、とくに中東)人と人とが差別されて、支配と被支配の関係が世界を覆い、その構造の下で二つの世界大戦を頂点として暴力が偏在していた時代、そのような時代であった「長い二〇世紀」が過ぎ去ってすでにかなりの年数が経過したいま、暴力的契機をさらに抑え込み、この二一世紀を平等と平和の時代にすることが私たちには求められているのである。
(平野)
平和と平等の社会はまだ遠い。