◇ 【海】史(10)―3
■ 『月刊・神戸 読書アラカルテ』(3)
外部からの寄稿は「週刊」時代の第23号植村達男が最初。その後、何人か連続で釣りエッセイが7回(清水部長含む)ある。植村は第38号でも登場。
「月刊」では第3号で高校の先生が寄稿。歌人、学者はじめ読書好きな顧客が書いてくれている。「書遊子」「異邦人T・O」という署名もある。
週刊23号 「貴志康一のこと」
週刊38号 「ある半日」
月刊4号 「佐高信『経済小説の読み方』」
月刊15号 「年末・年始、二つの玉」
月刊18号 「モーパッサンの短篇から」
月刊22号 「啄木と神戸を結ぶ一冊の本」
植村(1941~2010)は当時東京在住、保険会社勤務。神奈川県生まれ東京育ち、中学時代に神戸に来た。神戸大学経済学部卒業。大学の同窓会幹事をしておられた。来神時は立ち寄ってくださり、言葉をかけてくださった。強力な【海】サポーターのお一人だった。
「月刊」の話だが、「週刊」時代の文章を引く。へそ曲がりと言うより、編集がウカツなだけ。
「ある半日」より
休日、奥様は上のお子さんと外出。3歳のお嬢ちゃんと留守番。二人で隣町の本屋に。買った本は、野呂邦暢『古い革張椅子』。喫茶店に寄る。コーヒーを飲みながら新聞や雑誌をめくる。嬢ちゃんはコーヒーゼリーを食べ終えむずがり出しそう。家に帰って昼ごはん。雑誌を読みながら昼寝。嬢ちゃんは近くの公園に遊びに行った。FMのクラシックを聴きながら野呂の本を読み始める。
「本を読むのが好きだったから本を書くようになった、というのはあまりに凡庸、あまりに月並みである」
植村も前年に本を出した。
――三十歳台のサラリーマンが本を出すことが比較的珍しかったので、時々「なにゆえに本を出版したのか」と質問を受けた。ドンピシャリな言葉がなく、うやむやな答え方をしてしまったが、先の野呂氏の言葉は私の心持ちをも、たくみに表現していたのである。
野呂氏の作品を読みながら、私は一つの想像をした。長崎県諫早市に住む野呂氏を訪問し、諫早の町の小さな喫茶店で、野呂氏と私がコーヒーや古本屋などについて語り合っているシーンになる。――
(平野)
10日、千日前。波屋書房とジュンンク堂千日前店で初買い。
業界の新年呑み会に参加。部外者なのに混ぜてくれた。N姉と抱擁。アカヘルの仕事ぶりを営業さん数人が教えてくれる。『ほんまに』数冊売れ。書店員さんに注文書手渡し。Iさんからは新規取り扱い店を紹介してもらう。
書店員同士の結婚報告も。