■ 大国正美 『古地図で見る神戸 昔の風景と地名散歩』 神戸新聞総合出版センター 2000円+税
古地図の復刻や本、兵庫・神戸は少ない。江戸、京、大坂と違い、歴史上で重要なのは「兵庫津」くらいだし幕末の開港以後発達した都市だから、ひょっとしたら「地図」自体がないのかもしれないと思っていた。しかし、神戸市立博物館、兵庫県立博物館、神戸市文書館に多くの絵図・史料が収集されている。地域の遺産。
第2章 開港場とその後背地 走水(はしうど) 二茶屋(ふたつちゃや) 神戸 生田宮 北野 ……
第3章 海辺の酒造り在郷 小野新田・脇浜 岩屋 味泥(みどろ) 大石 新在家 ……
第4章 六甲山南麓の村々 中野 小路・北畑・田辺 田中 岡本 住吉と山田 ……
第5章 緑陰に生きる町と村 西小部(にしおうぶ) 衝原(つくはら) 淡河(おうご)・中村・下村 石峯寺(しゃくぶじ) 撫石(なでし) ……
第6章 西国への街道に沿う村 尻池 長田・池田 西代 板宿 大手 ……
池田恒興が天正9年(1581)に兵庫城を築いた(ページの境目中央が城跡)。堤で囲われ、寺院(黄土色の区画)が数多くある。
「摂州八部郡福原庄兵庫津絵図」元禄9年(1696)個人蔵。
次の地図は現在の中央区西部分。「福原庄6ケ村生田村山論絵図」享保4年(1719)神戸市立博物館所蔵。
右上部に「生田大明神」(生田神社)。左下部の人家密集地は西国街道で、現在の元町商店街。「神戸村」「二茶屋村」「走水村」。
「神戸村」は生田神社に租・庸・調を納める「神戸(かんべ)」で、広大な耕作地があった。
「二茶屋村」。天正年間(1500年代後半)は家数18軒だったが、元禄14年(1701)には309軒、嘉永6年(1853)に610軒。兵庫津の海運業発展による人口増加。
「走水村」。古代氏族間人(はしひと)氏の集落。今も「走水神社」がある。ここも人口増加地。