◇ 【海】史 番外(1)
■ 植村達男 『本のある風景』 勁草出版サービス 1978年初版 絶版
読書エッセイ。私が持っているのは82年(昭和57)2刷。コーべブックスで買ったはず。
元は私家版で、本書は再編集して書店ルートで販売されたもの。私家版を読んだ栗栖継(チェコ文学、エスペランチスト)と野呂邦暢が序文を寄せている。
植村もエスペランチストで、海外の人たちと交流していた。
野呂邦暢は植村が愛読する作家。序文より。
――ここに収められたエッセイは私をくつろがせる。なんだ、それだけのことかと人はいうかもしれない。くつろぐことと、のんびりすることとは、おのずから異なる。くつろぎは生活に対して果敢に挑むことのできる人のみがはじめて手に入れる報酬である。生活から逃げてばかりいてはくつろぐことができない。(略)くつろぎとは何ものにもとらわれないということだろう。心身の自由と表現することもできる。私は植村さんが羨ましくてならない。閑暇のたのしさ、休日に好きなことをしてすごす歓びというものが、文章の行間にみなぎっている。閑暇のなかにこそ生活がある。――
「星を売る店」
「枯れ木のある風景」
金木犀の香り
神戸の古本屋で
土曜日の散歩
エスペラントを学び始めた頃
本を食べる
八王子市民吹奏楽団創立一五周年によせて
小出楢重と谷崎潤一郎のことなど
……
カバーの絵は小出楢重「蓼喰ふ蟲」挿絵。口絵、同「枯れ木のある風景」。
「枯れ木のある風景」より
楢重の絵に心惹かれていた。「枯れ木のある風景」は晩年の作品。アトリエからの風景。
――画面の前に太い枯れ木がゴロンところがっていて、背景にはこれまた太い電線が走っているといった、まことに妙な絵である。しかしながら、そこに何ともいえない魅力をかもし出し、強烈に人の心を捕えるものがある。――
ちょうど鎌倉で「小出楢重展」が開かれている。すぐに展覧会の話にならない。鎌倉駅近くの人気喫茶店、いつも満席なのにその日はすいていた。タナゴの水槽に経営者の“ゆかしさ”を感じるが、
――コーヒーの味は抜群というほどではなかったが、水がばかにうまく……二杯おかわりをした。――
次は美術館に文句。建物が気に入らない。鎌倉は生まれ育った場所で、この建物ができたときは神戸住まいだったが、「機能第一主義みたいな建造物」に腹を立てた。しかし、大好きな楢重展に免じて、「昔の感情を撤回」する。
ようやく展覧会。期待していた「枯れ木~」は出展されていなかったが、楢重の別の魅力に気づく。力強いタッチが本領と思っていたが、ガラス絵など繊細な一面を発見する。
目録を見ていて、楢重との「邂逅」と友人のことを思い出す。彼は谷崎ファン、下宿で文学論。「蓼喰ふ蟲」の挿絵が楢重。その絵の作者と「枯れ木~」の作者が、どうしても植村の頭の中で一致しなかった。
――目録の年譜に記載され『谷崎潤一郎「蓼喰ふ蟲」の挿絵連載』のわずかな記録も、私にとっては重大な意味を持ったのだ……。――
友人は仕事上のパンフは送ってきてくるれが、
「もう暫く会っていない」
「もう暫く会っていない」
本書を伝記作家・小島直記がその著書で紹介している。
――ドギつい商業出版物の氾濫の中で、一冊のつつましい本が上梓された。(略)読後感の充実した手応えは、数千頁の本のそれと匹敵する。――『出世を急がぬ男たち』(新潮社、1981年)
『ほんまに』取り扱い店さん、追加注文ありがとうございます。
読者の皆さん、ご感想ありがとうございます。
ボランティア営業のみなさん、新規開拓うれしく、ありがたく……涙、ウソです。
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