◇ 【海】史(10)―9
■ 『月刊神戸 読書アラカルテ』(9)
市井仁(その3)
第17号に『本棚の片隅から 雑誌篇(Ⅲ) 「面白半分」臨終号』寄稿。
『面白半分』という雑誌があった。1971年12月創刊。発行人、佐藤嘉尚。初代編集長・吉行淳之介はじめ人気作家が交代で編集長を勤めた。野坂昭如、開高健、五木寛之、藤本義一、金子光晴、井上ひさし、遠藤周作、田辺聖子、筒井康隆、半村良、田村隆一。
野坂時代の72年、永井荷風作といわれる小説「四畳半襖の下張」を全文掲載したが、わいせつ図書で発禁。“腰巻大賞”というのもあった。しかし、80年廃刊。
『臨終号』では歴代編集長が寄稿。
ヒキガエルの目 開高健
残り時間の予約 五木寛之
サパ・ヒントの家 藤本義一
四人のお姫様 井上ひさし
雑誌「面白半分」の倒産 野坂昭如
最初の記憶 筒井康隆
腰巻大賞のこと 田辺聖子
――〈比較文化論的研究〉のサブタイトルのもと、「岩波書店と面白半分の場合」という原稿が、アホウドリこと阿奈井文彦の〈葬式ルポ〉とともに、それぞれ4ページを占めていて、ともに大変興味深い内容である。創刊の企画段階から、今回のこの臨終号の広告集めにまで、終始関わってきた吉行淳之介の「初代編集長の弁」、最終頁の「冥途より」の元発行人佐藤嘉尚の2人の言葉と、面白半分のアシアト(目次・タイトルでは足形のイラストが4つで表現されている)とではほとんど過不足なく「面白半分」の消長を知ることができる。ウスッペラな頁数ながら、見事な編集手腕というほかない。――
市井は、「これはと思い得る雑誌が出たときは、とことんつきあう主義」=[定期購読、完全読破]だが、『面白半分』はそうではなかった。実は、9年も存続するとは思っていなかった。編集長、オーナー、関係者たちの健闘を讃えている。
――本誌とは別に臨時増刊の形式で相当数の特集が組まれたが、これらは貴重な記録(特に「四畳半裁判証言全記録」のシリーズ)である。「面白半分」よ、成仏せよ。南無!――
市井仁の寄稿は南天荘書店のPR誌『野のしおり』で続いていく。『野のしおり』については後日改めて。
写真、「市井仁」が本名で出版した『本と人を糧に』(編集工房ノア、2002年)。
(平野)