■ 飯田豊一 『「奇譚クラブ」から「裏窓」へ 出版人に聞く(12)』 インタビュー・構成 小田光雄 論創社 1600円+税
飯田(1930~2013、本書インタビュー後逝去)は東京生まれ、デザイナーを経て編集者。『裏窓』『サスペンスマガジン』編集長。2007年「天狗のいたずら」(ペンネーム田端六六)で第5回北区内田康夫ミステリー文学賞。濡木痴夢男名義で河出文庫から“緊縛”本6冊。濡木は『珍日本超老伝』(都築響一、ちくま文庫)にも登場。
『奇譚クラブ』は1947年大阪で出版された“性的風俗実話雑誌”、最初はSMではなかった。発行人は吉田稔。75年休刊。
戦後カストリ雑誌が続々と発行された。『奇譚クラブ』編集者・須磨利行は“アブノーマル雑誌”に転換。50年頃のこと。須磨は画家でもあり、ひとりで100点近いイラスト、カット、レタリングを描き、さらに小説、読み物、コラムまで書いた。絵のペンネームのひとつが「喜多玲子」で、その絵に伊藤晴雨が惚れ込み「喜多」宛に手紙が多数来た。
『家畜人ヤプー』『花と蛇』が連載されたのはこの雑誌。川端康成、三島由紀夫、江戸川乱歩他、著名作家が熱心な読者だった。
53年、須磨が辞め、飯田が小説を投稿(本書に収録)。飯田は「喜多」に挿絵を描いてほしかったが、すれ違い。61年飯田が編集長に。
飯田は雑誌編集から引退した後、「緊縛本」を出すようになる。40年以上SM雑誌に関わり六千人以上の女性を縛ってきた。80年代にSM雑誌が乱立し、毎日のようにモデル女性を縛らなければならない状態になる。
――しかし、そのうち本来のSMの魅力とか快楽を追求する視点は後退し、少数派のマニアではなく、多数派の読者に向けてのわかりやすい迎合的なエロティシズムに内容が染められていった。――
「緊縛の美というものは物語性と屈折のシチュエーションが不可欠」で「女性の両足をぴったり合わせて縄をかける縛り方に表われる」
安直なエロではない。SMも奥が深い。
出版業界でエロ雑誌の地位は低い。アブノーマル誌はさらに下。経営者、編集者も覚悟がいる。一般社会では「悪書」と指弾される。警察権力の監視もある。エロ雑誌は“反権力”でもある。
Ⅱ『風俗草紙』創刊 特価本業界との関係 挿絵前世時代と戦争 他
Ⅲ 久保書店、『あまとりあ』、中田雅久 『裏窓』創刊まで 他
Ⅳ『マンハント』について 翻訳ミステリー雑誌三派鼎立時代 広告のない雑誌 他
Ⅴ『抒情文芸』と『灯』 高倉一と風俗資料館 悪書追放運動 『裏窓』休刊
付録「悦虐の旅役者」
◇ 映画『ある精肉店の話』 神戸アートビレッジセンター 1月24日まで。
纐纈(はなぶさ)あや監督 やしほ映画社、ポレポレタイムス社製作
本は、本橋成一『うちは精肉店』(農山漁村文化協会、1600円+税)
紀伊國屋書店グランフロント大阪店 06-7730-8451
ありがとうございます。
(平野)