■ 藤原マキ 『私の絵日記』 ちくま文庫 840円+税
1941年大阪生まれ。舞台女優、状況劇場などで活動。退団後、つげ義春と結婚。1999年癌のため逝去。
本書単行本は1982年北冬書房から。のち増補再編集され文春文庫、学研M文庫。
解説の佐野史郎は映画「ゲンセンカン主人」(1992年)で「つげ義春」役を務めた。藤原は状況劇場の大先輩にあたる。佐野夫人も同じ劇団で名前は「真希」。佐野は島根県松江市出身。
藤原は戦災で島根県加茂町に疎開した。
――町から三十分ほど歩いたところにある集落の、公会所をあてがってもらい、着のみ着のまま、何一つなかったので、村の人たちから、フトン、ナベカマ、茶ワン、ハシ、にいたるまで恵んでもらい、それこそ乞食一歩手前で疎開生活を始めた。……――(マキの思い出エッセイ「お地ぞうさま」)
父は戦死、大阪に帰れずそのまま高校卒業まで公会所に住んだ。
町の本屋の思い出を書いている。
――いつ覗いてみても、お店の人は居るのか居ないのか、だーれも居ない眠ったような本屋さん。無造作に置かれた本たち……(略、本が欲しくてしようがなかった。友だちに貸してもらって舐めるように読んだ)。本屋さんの前を通るたび、私はよく思ったものです。「ここの子どもになれたらいいナー」と。すると、好きな時に好きな本を、好きなだけ読めるから、そしたらいいナーと……。――(「そうだったらイイのにな」)
絵日記のきっかけは、長男の幼いときの家族の生活記録を残したいと思ったから。「出来るだけありのまゝ」を描いた。子どものおねしょも、つげの病、自分の精神的不安定も。
――正助が「カーチャンなんかつめたいよ」と云って私を起した。……こんな日に限って雨だ。
――近所の八百屋で捨てゝあったフキの葉をもらい、佃煮にした。ほろ苦くて美味しい。(夕飯は金時豆、野菜の煮しめ、小魚の佃煮)今晩はなんだか昔の公家さんの食事みたいだ。
――オトウサンがトイレから出てきてひっくり返った! 長身だから電信柱のように倒れた。昨夜40度も熱が出て、トイレの冷たい空気に急にふれたものだから、立ち上がったとたん、つよいめまいがおきたのだという。
――夜オトウサンと夫婦ゲンカをした。二、三発やられたので、捨てバチな気持になってしまい「もうオトウサンなんか要らない! 二人で何処かへ行ってしまおう」と正助に口走ってしまった。
――昼食をしていたら、突然オトウサンが「目まいがする、救急車を呼んで」といって畳に横たわったので、びっくりしてしまった。こないだも一度ひっくり返っているので、脳卒中かと思いあわてたが、救急車が来たら、オトウサンはタンカにも乗らず、自分で歩いて車に乗ってしまった。
――オトウサンがとうとうおかしくなってしまった! 固い顔して電話帳を見ていたと思ったら、とつぜん精神科に電話をかけたのだ。とうとう自分から助けを求めたようだ。
……
ささやかな喜びとどうしようもない苦しみが同居。
家族の写真、つげの「妻、藤原マキのこと」も収録。
(平野)