■ 樽見博 『戦争俳句と俳人たち』 トランスビュー 3200円+税
神戸で見つからなかった(よう見つけなかった?)本。
著者は1954年茨城県生まれ、「日本古書通信」編集長。著書、『古本通』『古本愛』(平凡社)など。
「戦中から終戦後にかけての表現者たちの言動の推移を示す資料を収集」「当時の俳人たちは、戦争という強制的な死をもたらす状況と対峙しなければならない中で、どういう俳句表現をし、また俳句をどのように考えたのか」
第Ⅰ部
山口誓子 モダニズムから自己凝視へ
日野草城 モダニズム・戦火相望俳句の限界
中村草田男 屈せざる者の強さと弱さ
加藤楸邨 荒野・死を見つめるこころ
第Ⅱ部 戦前・戦中の俳句入門書を読む
“戦争俳句”は戦争を詠んだ句だが、すべてを一括りにできないはず。まず、「戦争」の意味、その重さが各人違う。戦地と銃後。戦地でも前線と後方、また戦傷で病院。銃後でも被害の大小や家族・財産を失ったかどうか。軍隊内でも階級によって大きく違う。また、「俳句」という言語芸術での考え方・表現方法の違いがある。
しかし、「聖戦」の名の下、共通の感情を押しつけてしまう。
言葉は人間の存在そのものである。その言葉が無意識のうちに統制されるとき、それは個性の喪失を意味する。俳句表現は何よりも個々の感情の自由な発露であり、それが生み出すイマジネーション、想像を喚び起こす力が、作品の質のすべてである。
問題は、戦争の時代が終わった後、俳人たちは「その体験を根に、どのような次の表現を求めたか」ということ。著者は、4人を重要な核と考え、彼らの言動と作品を追う。
もとより私に、俳人たちの戦争責任を問う意図はない。時代の重圧が表現者たちに与えた影響を、当時の資料を通して検証していくだけだ。……
山口誓子は伝統俳句=有季定型で育ち、新興俳句=自然写生より主観尊重に移った。伝統俳句の季題趣味、新興有季の季感と作家の生活感情、新興無季の詩感という性格の中で、新興無季こそが戦争俳句に要求される「国民感情」と折り合うのにもっとも有利と主張した。
誓子は戦争俳句を多数作ったわけではない。勇ましい句もあるが、ほとんどは「悲しさを伴うもので、戦意高揚の精神からはほど遠い」。
入営を見送り鉄路の野を帰る
戦場の犬枯山へ引きかへす
著者は、戦争をテーマにしない同時期の作品と比べて、「山口誓子は戦争を詠むには、資質的に馴染まない俳人だった」と書く。
戦争という事態と、それがもたらす高揚感は、誓子のような、個の独自性に自覚的な芸術家をも、しばし迷わすのである。
装幀 間村俊一 写真 林朋彦(平野)