2014年2月9日日曜日

メリケン波止場


 【海】史 番外(3

 かどもとみのる 『メリケン波止場』 長征社 200312月刊 絶版

 角本稔1943年広島県生まれ。タグボート甲板員、港めぐり遊覧船、大阪湾クルージングなど約36年間、海と港で働いた。1995年阪神・淡路大震災でリストラ、陸に上がった。南京町でカフェ・バーを経営しながら、「神戸港を考える会」を立ち上げ、景観保存、「ポートウオッチングマップ」制作など、地域活性化の運動を続けている。

 
プロローグ セピア色の港とカモメ

わが青春の神戸港  和(かず)丸に船出 はしけとかみさん マドロスたちのいた港 めぐり来る春

波止場ものがたり  汽笛 メリケン波止場 「外人バー」の女

神戸港探訪

港に潤いと親しみを

エピローグ 「気まぐれカモメ」にて
 
 
 
「メリケン波止場」

 大丸西側の道路は鯉川筋。昔は鯉川が流れ、明治初め河口に波止場が作られた。すぐそばにアメリカ領事館があり、「メリケン波止場」と呼ばれた。船の増加、港の修築・増築を重ね、ランチ(沖の船と波止場を往来する船)、遊覧船、タグボート、はしけの船着場となり、倉庫会社、船客待合所、船関係の事務所があった。東側の突堤には外国航路の大型船が着岸、西側の中突堤は中四国、九州航路の発着ターミナルだった。

 住居表示は「生田区メリケン波止場」だったが、1980年「中央区波止場町」。87年波止場は埋め立てられ「メリケンパーク」に。

――
メリケン波止場のイメージ?
残念ながら、もうあらへん
少し前まで、メリケン波止場にガス灯があったし
古い建物も多かったけど
どんどん新しくなっていきよるわ
そうそう、昔の正月は、メリケン波止場いっぱいに止まっとったはしけ、タグボート、ランチなどが、元日の午前零時になると、いっせいに汽笛を鳴らしたもんや
――  
 
 1978年雑誌の「神戸港特集」で角本が波止場を歩きながら記者に話した。この4年後「メリケンパーク」計画が実行に移された。
 
(平野)